「生徒会」とは誰のものか?



(12月11日付学級通信より)


 復興祭明けの日曜日は、娘のピアノ発表会だった。まだ12月上旬だというのに雪が積もり、石巻では最高気温がマイナス0.3度で真冬日だったとかいうこの日、前谷地にある遊楽館に足を運んだ。娘がステージに立った第1部は、比較的学習歴の浅い22人が発表を行った。小品を2曲ずつ、約1時間のコンサートだったが、楽しく、一切退屈することなく音楽を楽しめた。諸君と名古屋で聴いたマーラーの第8交響曲のような、人類が生き続ける限り伝えられて行くであろう名曲もいいが、このような単純素朴な曲を、心素直な幼い子供たちが無心で弾くのもいいものだな、と思った。

 さて、師走も半ばとなった。言うまでもなく、12月を「師走」と言うのは、世の中全体が慌ただしく、先生でさえも走り回るからだ、というのが定説である。へっ?逆に言えば、昔の先生というのは、世の中で一番暇な職業で、12月しかバタバタしていなかった、ということなのかな?と驚く。私なんか、おそらく宮水で一番暇な(仕事をしない)教員だと思うが(それでも多くの先生は、「E2を担任しているだけで大変ですね」と同情してくれる)、そんな私でさえ、年から年中ドタバタの毎日である。中間考査の成績処理が終わった瞬間に錨章祭、それが終わると、1週間で修学旅行、更に帰ってきてから3日で、学校の引っ越し!!寒いけれども、まずは健康第一。これはお互いに、だ。


【「生徒会」とは誰のものか?】

 錨章祭の閉会式で、「認証式」なるものが行われ、我がE2のS君が正式に生徒会長に就任した。本当にご苦労さんな仕事で、しかもラグビー部を掛け持ちなのだから大変だ。名実ともに立派な生徒会長として、大いに宮水を盛り上げて欲しいと思う。

 ところで、今年も役員が決まる過程で、「今年生徒会誰やんの?」とか「○○、今年も生徒会やるらしいぞ」といった言葉をよく耳にした。今の生徒会の問題というのは、これらの言葉の中によく表れている(クラスでも同じこと)。生徒会規約(会則)の中に書いてあることだが、生徒会の構成員は全生徒、つまり諸君全員である。認証式で証書をもらったのは役員に過ぎない。役員は、会員をリードする立場に立つが、会員が役員を動かし、支えるのも確かだ。両方が動いていなければ、生徒会が動いていることにはならず、「生徒会」が動かなければ、生徒は先生の言いなりになるしかなく、生徒による活動(行事など)も低調となってつまらない。


【錨章祭の終わりは、新しいE2の始まりになるか?】

 錨章祭=復興祭は、予想外の好天に恵まれたこともあって、全体として見ると、予想外にいい行事になった。各教室という分断されたスペースを使っての文化祭よりも、「お祭り」というものに必要な一体感や、適度な騒々しさがあっていいかもしれない。私は「瓦礫御輿」に感動した。

 E2については、既に何度か話をしたので繰り返さない。クラス旗は、堂々と教室の正面に飾っておこう。これこそが今のE2を象徴する物として大きな価値を持つ。これが新しいE2の始まりになるのか、E2のみならず、来年度のE3のシンボルにもなるのかは、今から諸君が何を考え、どう行動するかにかかっている。諸君がどれだけいい意味で「普通の」高校生であるのか、じっくり観察させてもらうことにしよう。


【いよいよ修学旅行・・・2日目は大阪へ!】

 先週水曜日に、自主研修の計画書を出してもらった。予想していたことではあったが、終日京都の町を散策するという班はなく、本願寺など、ホテルに近い若干の見所に立ち寄っただけで、全員が大阪を目指すらしい。私は「見回り」ということになっているので、全ての生徒が大阪を目指す一方で、私だけ京都市内をウロウロしているわけにもいかず、諸君の出没しそうなミナミの繁華街なりUSJなりに行かねばならないらしい。

 私としては甚だ迷惑な話だし、諸君にとってももったいないとは思うけれども、1日目と3日目に、少しばかりながら京都と奈良を訪ねるわけだから、ミナミを訪ねて、大阪弁に囲まれ、エキゾチックな体験をするのも、決して悪くはないな、と思う。

 直前に問題行動を起こしたりせず、楽しい旅行が出来るようにしてくれ。


(裏面:12月4日付け『日本経済新聞』より、「ネット規制 是非で溝」を引用

平居コメント:インターネットは機能的で便利なだけでなく、匿名性が高いので、使い方によっては「気違いに刃物」である。学校内と同じで、何でも自由が一番いいのは分かっているが、必ずしもそうとばかりは言っていられない。もっとも、規制についての各国の意見を見てみると、私たちが考えるようなモラルを保つためではなく、権力者にとって不都合な意見を封じ込めるという意味合いを帯びているようだ。ともかく、自由と規制の長短はよく考え、比較してみよう。)