そういえば、先週の修学旅行の時に、以下のようなことを考えていた。少し大切なことに思われるので、今更ながら書き留めておきたい。
修学旅行の1ヶ月くらい前から、個人的に予習(復習)をしていた。奈良の古寺や、それを守り作ってきた職人たちが書いた本、彼らについて書かれた本を何冊か読み直したのである。
例えば、一種の古寺・職人ブームのきっかけとなった法隆寺の宮大工棟梁・西岡常一氏は、法隆寺や薬師寺を作った飛鳥時代の大工の技術と知恵について、口を極めて褒め称える。彼が絶賛するのは、整理すれば大きく二つのことについてである。一つは、道具を使って木を切ったり削ったりするという手先の技術、そしてもう一つは、木の性質を見極め、建物が長持ちするようにそれを組み合わせるという技術である。手足の技術と、眼力と言ってもよいだろう。
前者は分かるような気がする。当時は、今のように便利な(強引な、と言った方が正しいかも知れない)道具がないので、幼い頃から全て自分の体と知恵で対処していた。その結果として、単純な道具をいかに器用に使うかということについては、現代人より上手であることは、むしろ当然と言うべきだろう。
しかし、後者は不可解である。1300年前に、どのような性質の木をどのように組み合わせれば1000年以上耐えられる建物が作れるかを知るためには、それ以前に、少なくとも1000年以上の、いや、3000年ないし5000年にも及ぶ大規模建築の歴史がなければならないはずだからである。人間は、ひとつのやり方でやってみて、うまくいかない点を見つけることで反省し、別のやり方でやってみるということを繰り返して(試行錯誤)、よりよいやり方をひとつずつ見つけ出していくものだろう。だが、飛鳥時代以前に、3000年もの精巧で大規模な建築の歴史があったとはとても思えない。
では、なぜ、法隆寺を作った人たちは、そのような技術(眼力)を身につけることが出来たのだろうか?以下のような想像をしてみる。
大昔の人は、今よりもはるかに自然に密着し、自然の一部として生きていたに違いない。そのような生き方をすると、自然というのは、その性質を人間に向かって語ってくれるのではあるまいか?逆に言えば、自然の一部として生活していれば、人間は経験がなくても、自然の物の性質が分かり、それが500年後、1000年後にどうなっているかが見通せるのではないか?
もちろん、この推論が正しいかどうかは分からない。ただ、人間が文明に守られ、甘え、自然から離れた生活をすれば、自然の物の性質が見えなくなるために、それらを適切に使うことが出来なくなり、そうすればますます自然は価値の低いものに見えて、自然から遠離る。そんな悪循環が発生してはいないか?と恐ろしく思うばかりである。