群馬「大」旅行(1)・・・わたらせ渓谷鐵道など



 1ヶ月ほど前、職員組合の本部から、「11月24〜25日に、群馬県水上温泉で教職員組合の全国学習会がある、行きたければ行ってもよい」との話が来た。確認してみると、考査明けで採点の心配はあるが、とりあえず体は空いている。行ったことのない場所でもあるし、いろいろな人と会って全国の学校の話を聞いてもみたかったので、行かせていただくことにした。

 よく見れば3連休である。家で恐る恐る「23日から出かけてよいか?」とお伺いを立てたところ、許可が出たので、あまり行ったことのない群馬県を大旅行することにした。群馬には、前から気になっていた私鉄も走っている。例によって『時刻表』をあれこれめくっていると、意外に面白いコースが組めた。


11月23日(金)

古川9:26(新幹線、仙台乗り換え)11:06宇都宮11:39(JR日光線)12:21日光13:00(日光市営バス)13:36間藤13:59(わたらせ渓谷鐵道)15:27桐生(徒歩)西桐生15:46(上毛電気鉄道)16:38中央前橋(徒歩)前橋16:53(JR両毛線)17:07高崎


 群馬に行こう、わたらせ渓谷鐵道に乗ってみたいと思った時には、まさか日光から渡良瀬川・足尾方面にバスで抜けられるとは思っていなかった。バスに乗る時に、日光市営であることに初めて気が付いた。どうして日光市が、わざわざ足尾までバスを運行しているのかなぁ?と不思議に思った。終点が足尾の双愛記念病院という所だったので、病院通いの人のために運行しているのかなぁ、それにしても1100円もかけて山奥の病院に行くより、740円で宇都宮市に出た方がはるかにいいように思うが、双愛病院って、もしかすると何かの分野で非常に有名な病院なのかなぁ、などと思いながら、ともかくバスに乗った。バスは国道122号線を走り、細尾峠の下を通る日足トンネルという3キロほどの長いトンネルを抜けて、渡良瀬川の谷に入った。

 間藤(まとう)はわたらせ渓谷鐵道(旧JR足尾線)の終点である。ホーム1本のさびれた無人駅だ。駅の看板を見て驚いた。「日光市足尾町下間藤」と書いてある。私は峠を越えて別な谷に入ったし、そこを走る鉄道が群馬県桐生市に向かっているので、地図を丁寧に見ていたつもりではあったが、すっかり栃木から群馬に入ったとばかり思っていたのである。

 改めて地図を見てみると、確かに県境は細尾峠にはない。そして、鉄道で3駅下った原向(はらむこう)と沢入(そうり)の間に、渡良瀬川を横切る形で引かれている。この県境の引き方は面白い。そして、日光市がわざわざ市営バスを走らせている意味が分かった。

 間藤から足尾にかけては、かつて日本一の銅山があって栄えたということが信じられないほど、うらぶれた町が見える。鉱山住宅のような、粗末な長屋も多い。原向の駅の回りには野生の猿がたくさんいた。食べ物を持って駅で列車を待っていたりしたら襲われそうだ。ここから沢入までは、渡良瀬川の渓流が実に美しい。名残の紅葉も風情があった。この川が、かつて鉱毒で汚染され、下流域も含めて多くの人が悲惨な目に遭ったということ(足尾鉱毒事件)がまったく信じられないほどだ。

 わたらせ渓谷鐵道は、なかなか商売熱心である。アテンダントを称する女性(おばさん)が乗り、切符だけではなく、時に「わたらせ渓谷鐵道グッズ」を売り歩く。神戸(ごうど)の駅には、東武鉄道の往年の名特急「けごん」の車両を2両置いてレストランとし、ホームでは昔懐かしい駅弁売り風の売り子さんが、まんじゅうその他を売っている。水沼(みずぬま)駅には、温泉施設が併設されている。過疎地を走る鉄道なのに、それぞれの駅で相当な数の人が乗り降りし、ディーゼルカー2両が満席、多くの人が立っていることすらあった。

 終点まであと2駅、桐生市街に入ってから、相老(あいおい)という駅に止まった。私が高校を出た町の近くには相生(あいおい)という駅があった。同じ発音なのに「生」と「老」では意味が正反対で面白いなぁと思っていると、駅の看板には「桐生市相生町」と書いてある。!?!相生町にある駅が、どうして相老なのだろう?

 帰宅後、調べてみると、駅を共用する東武鉄道のホームページにその答えが書いてあった。少し日本語がおかしいが、そのまま引こう。

 曰く「根元がひとつで、地上2.5mのところから2本に分かれて立ち、樹高は20m、樹齢は300年も経つという黒松と赤松の木を、共に長生きできる縁起のよい木ということで「相生の松」と命名され、県の天然記念物になりました。「相生駅」の名は他県にもあるため、共に老いるという考えから「相老駅」と命名されました。」

 なるほど、兵庫県相生駅との重複を避け、かつ、町名の由来と関係のある名前ということで「相老」となったわけだ。なかなか機転の利いた心憎い業だ。

 列車の中で考えたことに戻る。

 現代語では「生い立ち」とか「老いる」と表記して、音も表記も重なるが、古語においては「生ふ」と「老ゆ」、ハ行活用とヤ行活用というはっきりとした違いがある。だから、歴史的仮名遣いで書くなら、「相生」は「あひおひ」で「相老」は「あひおい」となる。

 周知の通り、ヤ行活用動詞というのは「自発(自然に〜なる)」の意味を含む。「見る」は正に「見る」で、「見ゆ」は「見える」「目に入る」だ。「生ふ」すなわち「成長する」ことは主体的、能動的な作業だが、「老ゆ」は、自らの意志に関係なく、つまり、どんなに抵抗しても実現してしまうのである。「共に老いる」と言えば、いささかほのぼのとしてあこがれを誘いもする言葉ではあるけれども、そのような言葉の成り立ちに考え及ぶ時、一転ひどく哀しく寂しいことに思われてくる。そんなことを考えているうちに、桐生に着いた。

 関東平野の景色は単調で退屈だ。地図を片手に乗ってはいても、上毛電鉄については特別書いておくことが見当たらない。前橋に着いた時には、ほとんど暗くなっていた。(続く)