ヘルベルト・フォン・カラヤン



もともとそんなつもりはなかったのだが、マニアックな記事を3日連続で書く。今日でやめる。

 カラヤンである。ベルリンフィルの終身音楽監督であると同時に、ウィーン国立歌劇場芸術監督、ザルツブルグ音楽祭芸術監督となり、「帝王」の異名を持った。チェリビダッケの対極、録音・録画技術に深い知識を持ち、一定の角度から撮った写真以外は使わせないなど、自分をどう売るかということにこだわっていた。地中海に教会の尖塔よりも高いマストのヨットを持ち、数々の高級スポーツカーとジェット機を自ら操縦するスピード狂だった。

 私は、高校の時に、友達からカラヤンフィルハーモニア管弦楽団を振ったべートーベン第7交響曲のLPレコードを借りて、繰り返し聴いていたのが出会いである。当時は他の人の演奏と比較するということもなかったので、ベートーベンの第7交響曲とはこんな曲だとしか思っていなかった。

 やがて、演奏にはいろいろなものがあることを知り、カラヤンの演奏もそのひとつに過ぎないことが分かるようになるに従って、私は急速にカラヤンから離れた。カラヤンに批判的な人がよく言うとおり、私にも、その演奏はあまりにも外形的にばかり磨かれた、精神的奥行きのないものに思われたのである。自らの地位のために、戦前、ナチスに入党したとか、ライバルになりそうな優秀な指揮者(C・クライバーバーンスタイン)に対しては、その活動を妨害したとかいった情報も、私がカラヤンに眉をひそめる原因となった。

 にもかかわらず、我が家にはカラヤンの演奏が少なからずある。少なくとも、マゼールのようなことはない。しかも、そのほとんどは、安かったからというような理由ではなく、カラヤンだからという積極的な理由で買ったものである。例えば、リヒャルト・シュトラウスなどはカラヤンの盤を好んで買った。精神性がさほど必要ない曲で、しかも、その秀逸なオーケストレーションが、精緻で豪華絢爛なカラヤンサウンドによく合っていると思った。協奏曲の伴奏で優れた仕事をしたのも確かで、ロストロポーヴィチが弾いたドヴォルザークのチェロ協奏曲とか、オイストラフリヒテルロストロポーヴィチによるベートーベン三重協奏曲とかも名盤だ。しかし、総合的に見た場合、私にとって、決して好ましい演奏家でなかった。マーラーブルックナー、バッハの演奏などは、欲しいと思ったことがない。

 地位や金にどん欲で、格好をつけ、孤高の生涯を送った演奏家という印象が変わったのは、ヘレナ・マテオプーロス『ブラヴォー、ディーヴァ』(岡田好恵訳、アルファベータ刊、2000年)という本を読んでからである。これは、男女それぞれ10人、合計20人の著名なオペラ歌手へのインタビューをまとめた本である。カラヤンがたびたび登場する。例えば・・・

カラヤンは生来、信じがたいほどの繊細さを兼ね備えていて、それが私たち歌手に伝わると、自分の中に眠っていた未開発の才能が解き放たれ、自分自身を100パーセント出し、〈本当に〉歌えるようになるのです。そして、カラヤンの最も巧みなところは、相手に、自分が主導権を握っていると思わせつつ、実はしっかり、相手を言いなりにしている点なのです。彼は私たちを思いのままに動かしているくせに、一見、馬の後ろについている荷馬車のように見せかけます。歌手がフレーズを美しく歌い上げれば、彼はそちらに向かって微笑みかけ、キスを送ってきます。そんな彼の命令なら、右手の指を全部切り落とすことも辞さないと、つい思わせてしまうのです!」(ホセ・カレーラス

「彼のボリスの性格および音楽面の解釈は、言葉では言い尽くせないほどすばらしいものでした。リハーサルの合間に彼は、全キャストにエイゼンシュタインの『イワン雷帝』の映画を見せました。みんなに当時の雰囲気を体験させるためです。カラヤンは、音楽のごく細部にまで集中力を発揮し、その作品理解は、ロシア語を解さない人としては、これ以上望めないほど見事なものです。(中略)公演が終わった時のカラヤンの精神状態にも驚き、感動しました。ボリスが死ぬと、彼はほとんどトランス状態となるのです。特にプレミエの日はそうでした・・・。私も長いこと歌手をやっていますが、彼ほどドラマに感動した指揮者を見たことがありません。」(ニコライ・ギャウロフ)

「彼は常に、私のために新しい道を開き、さまざまな役柄について、それまでの平凡で皮相的な解釈とは対極にある歌唱法を示してくれました。カラヤンをごまかして、その場を切り抜けることはできません。澄み切った歌唱、徹底的に純粋な音楽作りでなければ、彼には受け入れてもらえません。カラヤンは今世紀最大の音楽の審美家です。歌手は、ほとんど無意識に彼の指揮に従い、まるで虹のように長くなめらかなヴォーカル・ライン―あの有名なカラヤン・ライン―を作り出すのです。」(アグネス・バルツァ

カラヤンが私と《フィデリオ》を共演した時には、彼はときどき、大急ぎで演奏しました。なぜなら彼は、私がそれよりゆっくりのテンポではやれないことを知っていたからです。批評家たちは、彼が早すぎるとしばしば書きたてましたが、彼は私のために、そうしていたのです。彼は歌手ともども、非常に熱心に仕事にあたりました。そして彼の指揮する歌手たちは、彼と共演するのが大好きだったのです。」(クリスタ・ルードヴィヒ)

 引用が長くなったが、それでも一部に過ぎない。カラヤンのことを悪く言う人は誰もいない(もっとも、中川右介カラヤン帝国衰亡史』幻冬舎新書、2008年によれば、上に言葉を引いたバルツァは、その後カラヤンに背を向ける。「指揮者としてのカラヤンは自由に歌わせてくれるのに、演出家としてのカラヤンは、押し付けてくる」というのがその言い分だ。ルネ・コロやイーヴォ・ポゴレリチカラヤンを拒否するが、それらはすべて晩年の話である)。これらの言葉は非常に感動的で、彼らの言葉の中に思わず引き込まれそうになるほどだが、それは彼らがカラヤンの手の内に引き込まれることと同じである。カラヤンが彼らを引き込んだその力が、これらを読む私にさえ及んで来るようだ。

 これらの指摘については、オペラ歌手のみならず、オーケストラプレイヤーでも同じである。昨日も引いた、『ウィーンフィル 音と響きの秘密』には、カラヤンの驚くような音楽的能力と人心掌握術が、楽員の言葉で記録されている。ショルティマゼールと対立したウィーンフィルでも、カラヤンのことを悪く言う人は誰一人としていなかったようだ。一時の私のような、「アンチカラヤン派」とも言うべき聴衆は、間違いなくたくさん存在し、「商業主義によってクラシック音楽をダメにしたのはカラヤンだ」という言い方すらよくされるけれども、演奏を共にした音楽家は口を揃えてカラヤンを絶賛するという、この違いは面白い。

 ここには、能力にまかせて他人を強引に自分に従わせようという独裁的な指揮者の姿はない。金と地位に貪欲な、あさましい人間の姿もなければ、クールで人付き合いの悪い、お高くとまった人間の姿もない。あるのは、極めて高い音楽的能力を持ち、勤勉で、純粋で、繊細で、人の心がよく分かり、出演者に対しても芸術に対しても献身的なマエストロの姿だけである。

 しかし、そういうカラヤンの姿は、やはり彼の音楽からはどうしても見えてこないような気がする。音楽は、カラヤンという人間を内側深くに封じ込めて、外側ばかりが燦然と輝いているようだ。これは彼の自意識なのだろうか?また、物は磨き上げればすばらしいとは限らない。薄汚れた「風合い」に美がある場合もある。審美家であるカラヤンが、その辺を意識的に使い分けたりすることがあったのかどうか・・・?それらを読んで、カラヤンという人物に対する私の評価が大いに変わったのは確かだが、では、彼の指揮するマーラーやベートーベンを聴きたいかと言えば、少なくとも、わざわざ買って、という気にはならない。音楽の不思議とともに、人間の不思議を感じるばかりである。