ニコラウス・アーノンクール(2)

 音楽観の違いから、カラヤンによる大抜擢を断ったアーノンクールであるが、カラヤンに反感を持っていたということは全然ない。むしろ、彼もカラヤンを高く評価していた。次は、メルトルが引くアーノンクールの言葉。

「私は彼にものすごく感嘆しました。(中略)ブルックナー交響曲では彼のやり方に感嘆するばかりでした。あれは大きな経験でした。というのも、彼は盛り上げていく部分をそれは見事に築き上げることができたのです。強弱法やテンポに関して。(中略)彼の信じられないほどの練習のテクニックには舌を巻きました。練習量はできるだけ少なく、効果はできるだけ大きくというやり方でした。彼はオーケストラがよく知っている作品については、ごく小さなパッセージしか練習をしないことがしばしばでした。そして本番では、リハーサルのときはまだ存在しなかった何かが付け加わるだろうと信じ切っていました。」 
 ところが、アーノンクールが1970年代の半ば以降、指揮者としての活動を活発に行うようになると、カラヤンアーノンクールを遠ざけ、ベルリンフィルザルツブルグ音楽祭といった自分の領域には、決してアーノンクールを立ち入らせない。これは、カラヤンバーンスタインやC・クライバーに対して取った態度と同じである。カラヤンは、チェリストとしてだけではなく、指揮者としてのアーノンクールも高く評価した、ということだ。自分を脅かすレベルの存在として、である。
 カラヤンという人は、自分に絶対的な自信を持っていたように見えるが、そうであれば、バーンスタインアーノンクールのようなライバルを恐れることはない。心の奥底に、大きな不安を潜めていたのだろうと思う。一方でカラヤンは、夫人によれば「アーニフ(ザルツブルグの南)にある彼の録音スタジオで感激しながらアーノンクールの録音に耳を澄ませていた」のも確からしい。
 アーノンクールが、自分を排斥するというカラヤンの振る舞いをどう思っていたかは分からないが、指揮者になった後も、上に書いたようなカラヤンに対する尊崇の念が消えることはなかった。メルトルによれば、「カラヤンは、アーノンクールにとって、自らの経験が豊かになればなるほど、その真価が分かるようになった指揮者の一人である。」そしてアーノンクール自身は、「ブルックナーといえば、私にとってカラヤンしかありません。(中略)彼の「4番」の録音は、カラヤンに対するあらゆる悪口の逆を行くものです。ありとあらゆるステロタイプから免れているのです」と語る。
 いま、目に付くままにたどってきて、私は、天才だけが持つ本当の実力を見抜く力、天才と天才とがぶつかり合った時の火花の散るような人間関係に、正に手に汗握る感じがするのだ。カラヤンという、決して好きではないけれど偉大なる指揮者については、かつて一文を書いたことがあって(→こちら)、それは自分自身でもけっこうお気に入りの一文なのだけれども、その時の自分の興奮のようなものが、今、改めて蘇ってくるようだ。
 アーノンクールがどのようにして古楽を掘り起こし、普及させたかというような話、アーノンクールの音楽解釈がいかに「常識」から遠く、それでいて説得力のあるものであったかという話などは、彼に関する正に核心である。しかし、もう触れない。時差が嫌いで、日本に来た回数も少ない彼の実演に接するチャンスはなかったが、一度聴いてみたい、いや、それよりも演奏付きの講演が面白いだろうと思わせる人であった。86歳。合掌


補)『古楽とは何か』は、残念ながら私には読めない本である。貴重な多くの見解はいいけれども、なぜそう言えるのかについての根拠はほとんど書かれておらず、結論だけが羅列されている文章は苦しい。また、彼の言うように理解すると演奏はどう変わるのか、と音で示してくればければ、私のような凡人には理解不能なのである。少なくとも、素人にはお薦めできない。