トゥリオ・セラフィン



 昨日書いたマリア・カラスとの関係で、もうひとつのことに触れておこう。

 カラスを20世紀最高の歌姫へと育てたのは誰か?アテネ音楽院で師事した声楽の恩師エルヴィラ・デ・イダルゴとともに、いや、それ以上によく語られるのは、指揮者トゥリオ・セラフィン(1878〜1968)である。

 カラスは、イタリアでセラフィンの目に留まり、その庇護と指導によって伝説的な歌姫へと成長する。セラフィンという人は、録音でオペラを聴く機会のない人には決してその名前を耳にするチャンスがなく、逆に、録音でオペラを聴く人は絶対に避けて通ることのできない人である。生涯にわたってオペラ以外の指揮をしたことはないのではないか、と思う。極めて職人的に、ピットで棒を振り続けた。それでもわずか32歳でスカラ座音楽監督となり、46歳からの10年間はニューヨークのメトロポリタン歌劇場音楽監督、56歳からは再びイタリアに戻ってローマ歌劇場音楽監督となった。オペラの世界で、この人がどれくらい高く評価されていたかをよく表しているだろう。

 ヘレナ・マテオプーロス著、岡田好恵訳『ブラヴォー/ディーヴァ〜オペラ歌手20人が語るその芸術と人生』(アルファベータ、2000年)には、理想的なオペラ指揮者の筆頭として、セラフィンの名前が繰り返し繰り返し登場する。

 例えば、高名なヴォーカル・コーチであるジャニーヌ・ライスが、セラフィンを始めとする昔のオペラ指揮者について語っていること(「アルフレード・クラウス」の章)。

「声の何たるかを知り、声がどう使われるべきかを知り、演奏に関するさまざまなアイデアをもち、歌手が彼らのもとへ、楽譜をもっていくと、より豊かになって帰ってこられるような」指揮者であり、そのような指揮者は「指揮台の上の大スターではありませんでしたが、オペラの各役柄の演奏についてじっくり熟考し、時間をかけてそれを円熟させていくことができたひとびとでした。こんにちの指揮者には、ほとんど見ることのできない態度です。」

 また、30歳前後でオペラ指揮者アントニオ・ヴォットーからトレーニングを受け、「椿姫」を録音したレナータ・スコットの回想。

「50年代と60年代には、ヴォットーのほかにも、セラフィンを筆頭に、グイ、ガヴァゼーニなどの偉大なオペラ指揮者がいて、その誰もがまるで〈父のよう〉に歌手を愛し、歌手が傷つかないように護ってくれました。彼らは歌手に間違った役柄を押し付けるどころか、けっして歌わせず、適正な役柄さえ、あまり早いうちには歌わせなかったものです。そして私たちに指導してくれる時には、テンポだの、『私についてくるように』ではなく、表現や言葉の意味について教えてくれたものです。」

 セラフィンは指揮者となる前、スカラ座管弦楽団のヴァイオリン奏者だった。声楽家ではない。にもかかわらず、人間の声というものを熟知し、1人1人の歌手について、どのようにトレーニングし、どのような曲をレパートリーにし、どのように歌うのがいいかということを見極めることが出来た。多くの歌手が、それによって自分の能力を100%発揮できるようになったが、カラスもその1人であった。「ザ・ベスト・オブ・マリア・カラス」に収められた16曲の中で、セラフィンが伴奏の指揮をしている曲は半数の8曲。これも、セラフィンとカラスの関係を表しているだろう。

 セラフィンに関する多くの尊敬に満ちた言葉を目にし、彼が指揮した演奏を聴いていると、指揮者というのは不思議で偉大な存在だ、と改めて思う。それにしても、ヴァイオリニスト出身の指揮者が、なぜ声楽家を育てることができるのだろう?

 仕事場はスポットライトを浴びることのない薄暗いピットである。時には自宅に歌手を呼び、長い時間をかけて、曲の内容や声の出し方について徹底的なトレーニングをする。ひどく地味な立ち回りだ。それでいながら、誰もがその価値を仰ぎ見るしかなく、ピットと舞台の全てが彼の手の内にあるというのは、派手で軽薄なパフォーマンスの対極にあって実に好ましい。