公務員の政治活動についての判決雑感



 昨日の新聞各紙に、7日に出た国家公務員の政治活動についての最高裁判決の記事が載った。2004年3月と2005年12月に、厚労省の元職員が、勤務時間外に共産党機関紙『赤旗』の号外を一般のマンション及び警視庁職員住宅で配布し、国家公務員法違反で起訴された。その事件についての最終判決である。内容は、平職員が無罪、課長補佐は有罪で、10万円の罰金である。

 確かに、国家公務員法には、「職員は(中略)選挙権の行使を除く外、人事院規則で定める政治的行為をしてはならない」(102条1項)とあり、人事院規則14−7第6項第7号に、国家公務員法で禁止されている政治的行為の一つとして「政党その他の政治的団体の機関誌たる新聞その他の刊行物を発行し、編集し、配布し又はこれらの行為を援助すること」とあるので、厚労省職員であった2名の法令違反は明白であると思われる。

 しかし、この事件が最高裁まで持ち込まれたのは、憲法第21条に保障された言論・表現の自由という、民主主義下においてはとりわけ重要とされる人権との関係があるからである。つまり、いかに公務員という特別に中立であることが要求される地位にあるとはいっても、基本的人権は保障されるべきであり、中でも精神の自由と表裏一体の表現の自由については、特にその侵害を最小限にすべきだという考えがあるからである。私も、その立場に賛成だ。法令に基づいて適切に職務が行われていれば、その職員が職権を利用して人に何かを訴えない限り、私人としてどのような思想・信条を持ち、政治的活動をしようが何の問題もない。

 私は、二人が捕まった時の詳細を知らないので、あまりはっきりとしたコメントが出来ない。つまり、「厚労省の職員ですが・・・」と立場を明かした上で、号外を配ったのか、身分を伏せて配ったのかによっても、行為の意味は違ってくると思うからだ。前者であれば、いかに現行法が悪法だとしても、存在する以上、起訴にも一定の理解をするが、後者であったとしたら、起訴、まして有罪はあり得ないと思う。公務員が政治活動を制限されるべきは、その地位を利用した場合に限るべきである。なぜなら、大切なのは、条文を四角四面に守ることよりも、公務員の中立性に対する信頼が損なわれないことであり、憲法第21条を守ることで、健全な民主主義が機能することだからである。公務員を、投票以外で民主主義の枠内から一切排除してしまうには、公務員の数はあまりにも多い。

 上の国家公務員法規定は1948年に制定された。当時は公務員の労働組合運動が活発だったため、GHQがそれを封じ込めるために作らせた規定らしい。胡散臭いなぁ、と思うことが二つある。

 一つは、現行の憲法を「押しつけ憲法だ!」と言って、改憲を声高に叫ぶ人たちが、この手の法律については何も言わないことだ。もう一つは、政治的なビラの配布の是非が法廷で争われた事件は、私が知る限り全て共産党のビラ類だということだ。今回の判決に関わる事件でも、警視庁幹部は「認知したから立件しただけで、取り締まりは不偏不党でやっている」と語ったそうだが(朝日新聞)、なぜ共産党に限って公務員がそのビラまきをし、他の政党については行われたことがない(若しくはばれたことがない)のだろうか?

 今回のような事件の現実的な恐ろしさは、当事者たちの言葉にもあったとおり、公務員が萎縮し、自己防衛のために政治と関わりを避けるようになり、中立性の信頼を獲得する以上に、民主主義を衰退させる危険が大きいことだ。それは、権力を持つ者にとって非常に都合がよい。裁判所は、むしろ一般人が「えっ!?そこまで精神や表現の自由を尊重するの?それくらいは制限しても仕方ないんじゃないの?」と驚くほどでなければ、健全な民主主義は維持されないと思う。