通過する新幹線



(11月29日付学級通信より)


 先の3連休、私は群馬へ行っていた。24〜25日、ちょっとした仕事で水上(みなかみ)温泉に行く必要があったので、1日早く家を出て、群馬県内の私鉄に乗ったり、近代日本の文化遺産富岡製糸場を訪ねたりした。晩秋の田舎の風景はなんとも心安らぐもので、天気にも恵まれたため、いい小旅行となった。

 ところで、帰路、郡山駅の新幹線ホームで列車を待っていると、目の前を「はやて」や「はやぶさ」が通過して行った。わずか10mほどの所を時速300キロの列車が通り抜けていくのは圧倒的な迫力で、思わず恐怖に後ずさりをした。ほんのちょっとしたことで、大事故になるのは必至である。しかし、思えば、来月修学旅行で利用する「飛行機」というものは、その3倍のスピードで飛んでいる。しかも、外はマイナス50度という酷寒の世界で、床の下にはエベレスト1座分の空間がある。改めてその恐ろしさに思いを致した。

 思えば、文明は進歩すればするほど、便利さと同時に危険が増してゆく。様々な犯罪に利用されるインターネットにしても、携帯電話にしても、原発にしても、便利と破滅は表裏一体だ。便利になったとばかり浮かれているわけにはいかない。それらとどのように付き合っていくかは、難しい問題だと思った。


【あらためて錨章祭を問う】

 早くも来週の話である。例によって一向に落ち着かない教室で、改めて多少の問題提起(説教)をした。大切なので復習をしておこう。

・錨章祭はクラス全体で取り組む行事である。クラスの中で自分が何をすべきなのか考えてみる。

・自分が実行委員だったらどのように行動するか、今のみんなの言動をどう思うか想像してみる。

・スケジュールに無理があり過ぎるので、私は諸君にも無理は求めないと言ってある。しかし、それは何もしなくてよい、という意味ではない。ある条件の中でベストを尽くすという姿勢は、常に必要だ。

 珍しく、何人かの諸君がうなずきながら私の話を聞いてくれた。諸君がどこまでまともな(普通の)高校2年生であるのか、まったく信頼ならんというあきらめと、それでも・・・という期待と、私の中ではそれら二つが常に葛藤している。

 高校生のいい所は、本気になれば、短い時間で相当多くのことが出来るという点にある。それでも、「『すれば』は、いつまでたっても、結局『すれば』であった」(『羅生門』)では話にならない。準備に残された時間は、今日と土日を含めて8日間である。ここには「錨章祭の成功」ではなく、もっと大きな何か、「諸君の価値」とでも言うべきものがかかっている。


【これほどの上下変動は見たことがない!】

 中間考査成績の全貌が、私の手元では明らかになった。成績の上下の激しさは、未だかつて見たことがないほどである。

 前期末の自分の成績と比べて平均点が10点以上上がった人が3人、5点以上上がった人が3人もいる一方で、10点以上下がった人が1人、5点以上下がった人が8人もいる。もちろん、席次もそれに連動だ。どうしてこのような現象が起こったのかは分からない。成績が上下したのは諸君なのだから、私が教えて欲しい。

 前回そして上で書いたとおり、「やればできる」には意味がない。あるのは「やったらできた」か「やらずにできなかった」かだけだ。期末考査は、2月25〜28日。大切なのは常に基本、すなわち「やるべきこと(授業に参加する、憶えるべき事は憶える、など)を確実にやる」である。


【修学旅行へ向けて】

 部屋割りも班も決まり、自主研修のコース決めに入った(今週中)。けっこう簡単に決めてしまうのかと思ったら、意外に難航しているようだ。ま、そうして関西の地理について少しずつ学んでいくのもよし、友達とけんかをしながら「妥協」を学ぶのもよし、それでこそ行事には値打ちがある。

 訪問先が決まったら(本当は決まる前なのだけれど・・・)、目的地についてしっかり下調べ(予習)をしよう。勉強しなくても価値が分かる程度の場所は、しょせんその程度の価値しかない場所だし、勉強の量に比例して、見えるものも増え、面白さも増すのである。


(裏面:11月14日付『読売新聞』より、「解説スペシャル 新型出生前診断、議論は平行線」を引用。

平居コメント:修学旅行シリーズで、と思ったけど、このスペースでは適当なものがなかった。「命」を選んでよいかどうかというのは大問題。あと数年で切実な問題になる人もいるはずなので、少し考えてみよう。)