小泉和裕のフランク

 今日は、午前中、教職員組合の会議に出た後、午後は仙台フィルの第363回定期演奏会に行った。
 仙台フィルは、めでたく、今年で創立50周年となる。私が初めて仙台フィル(当時は宮城フィル)の演奏会に行ったのは、1981年4月の第18回定期からだから、途中2~3年にわたって1度も行かなかったり、そうかと思うと定期会員になってみたり、温度差はあるにせよ、ずいぶん長い付き合いである。
 それはともかく、今年の仙台フィルは、創立50周年を記念して、今までに縁のあった指揮者を招くという企画を打ち出している。今日の定期は、その第1回として、2006年から2018年まで首席客演指揮者の地位にあった小泉和裕氏(73歳)が登場した。70歳を過ぎた指揮者としては、秋山和慶小林研一郎とともに正真正銘「日本を代表する巨匠」と言っていい人だろうと私は思っている。特に、この人のブルックナーはすばらしい(→過去の記事)。
 今日のプログラムは、シューマン交響曲第1番とフランクの交響曲。私は知らなかったのだが、プログラムによれば、十八番中の十八番で、小泉氏はフランクとシューマンの第1番またはメンデルスゾーンの第4番をセットでよく演奏するのだとか・・・。
 以前のブルックナーほどではないと思ったが、演奏は十分に素晴らしいものだった。
 以前、ブルックナーの作品について、大人になって初めてその価値が分かる、いわば「大人の古典」だということを書いたことがある(→こちら)。実はフランクも同様だ。学生時代にはその価値がよく分からず、40歳になっても分からなかったフランクの魅力というものに、最近、具体的には50代半ばになって以降、私も気づき始めているような気がする。交響曲をライブで聴くのはわずかに2回目(前回は2002年11月、90歳のジャン・フルネ指揮仙台フィル)で、聴く機会が少なかったということもあるかもしれないが、それよりはやはり作品の性質によるだろう。
 フランクの生涯でただ一曲の交響曲が完成したのは、フランクの死の2年前、66歳の時のことである。ブラームス交響曲第1番を完成させたのは43歳の時のことで、それですら驚きを持って語られることからしても、フランクの晩成ぶりは際立っている。作曲者晩年の作品であるということは、それを理解するために人生経験が必要だ、ということなのかもしれない。
 あまりフランス音楽には聞こえない。メロディーは全然違うが、響きについてはブルックナーと近いものを感じたりする。なんだか妙に空間的、宇宙的な印象を受けるのだ。
 思えば、ブルックナーもフランクも、作曲家である以前にオルガニストであった。オルガン的な響きをオーケストラで追求した結果、その響きが似てきたということは十分にあり得ることだろう。最近の私には、その響きがとても魅力的で心地よい。
 これはこれでよいのだけれど、小泉氏にはまた仙台に来て、今度はやはりブルックナー晩年の作品を演奏して欲しいと思う。