生き物の哀しさ

 2週間前の日曜日、Eテレの「クラシック音楽館」という番組の最後の部分を見たら、次回予告として、ブロムシュテッド指揮のマーラー交響曲第9番を放送するという短い映像が映し出された。
 衝撃的だった。そこに映っていたブロムシュテッドは、昨年までとは似ても似つかぬ老い果てた生気のない老人の姿であった。椅子に座り、無表情に、背中を丸めて楽譜に目を落としたまま腕をゆらゆらと振っている。見てはいけないものを見た、という感じさえした。
 7月に書いたとおり(→こちら)、ブロムシュテッドも既に95歳。それでも、昨年までこの人は、年々輝きを増しているようにさえ見えるほど元気であった。ところが、今年の6月末に転倒して入院した。95歳の入院は危ない。それで一気に頭がおかしくなったり、足腰が立たなくなったりする例も多いと聞く。その後、ブロムシュテッドがどうなったか、情報はなかなか得られなかった。
 10月にN響を振る予定があったので、体調が回復せず、退院・来日できないのであれば、その旨アナウンスがあるだろうと、N響のホームページを時々覗いてみたりはしても、それらしき発表はない。発表がないということは、予定通りに来日するということなのか・・・
 結局、来日は実現し、10月定期演奏会の3つのプログラムを全て振ったようだ。老い衰えたブロムシュテッドを見たくはないが、曲がマーラーの9番だったこともあり、多少の怖い物見たさもあって、昨晩、私はテレビのスイッチを入れた。
 確かに、昨年までとはずいぶん違う。目は落ちくぼみ、人が脇を支えないと歩くことも危うい。それでも、番組冒頭で映し出されたリハーサル風景や、インタビューの様子は、予告編ほど無惨ではなかった。頭も耳も明瞭で、少し声は弱々しいが、それでも、オーケストラ全体に向かってしっかり語りかけることができる。
 なにしろ、人類の芸術文化の最高峰の一つ、マーラーの9番である。楽員だってそれなりの気持ちがあるだろうし、ブロムシュテッドとの関係においても、これが最後の共演になるだろうという意識を持っていたはずだ。演奏はそれなりに熱のこもったものだった。オーケストラが意外なほどによく鳴る。
 だが、この映像を録画しておいて繰り返し見るか、と言われれば、答えは「NO」だ。バーンスタインに遜色のない名演、と言うほどではないし、なによりブロムシュテッドが痛々しくて、見ているのが苦しい。確かに、転倒してけがをした。年齢を考えると、むしろ、日本に来られるほど回復したのは驚異だ。しかし、遅かれ早かれ、生き物である以上こうなるものなのだ。そんな生き物の哀しさを突きつけられている気分だ。
 それにしても、ブロムシュテッドに身の回りの世話をする人は付いているのだろうか?あの体で、ドイツだったかスイスだったかの自宅から、長い時間飛行機に乗ってきて、1ヶ月もの時間を日本で過ごすというのは信じがたい。こういう人って、洗濯だってどうしているのだろう?いつになくそんなことまで気になった。