手作り冊子の魅力・・・アナログ礼賛(2)



 前任校の応援団幹部OBであるT君から、手作りの冊子が二冊届いた。松本の旧制高等学校記念館謹製・全国旧制高校の校章入りという格調高い便箋3枚に、ぎっしりと手書き文字の書かれた手紙が同封されていた。便箋にも文字にもT君の熱い思いを感じる。ありがたい。それによれば、アナログを指向するという点において私と思い通じる所あるらしく、自ら手作りした冊子を平居に送ってみようという気になったのだという(参考:このブログの今年1月15日の記事)。

 1冊は『野蛮ZINE』というヘビメタやパンクの世界を主に扱ったA5版15ページのもの(「昭和86年」発行というのが、いかにも意味ありげだ)、もう1冊は仙台壱高OB有志誌『済美記』(表紙と異なり、目次等は『斉美記』となっているが、漢語としての意味を考えると『済美記』が正しいと思われる・・・本当かな?)と名付けられた仙台一高それ自体を「趣味」もしくは「生き甲斐」もしくは「人生」とするかのような、濃密なる「一高」の詰め込まれたB5版82ページに及ぶ冊子であった。前者は、私の知らない世界でありすぎて、私にはまったく理解不能・意味不明な冊子であったが、後者は、内容としては非常に面白いものであった。どんな些細なことでも、突き詰めて考えると面白くなるということの典型例みたいなものである。腹の底からこみ上げてくる笑いが外に漏れ出ないように苦労しながら、一気に読んでしまった。ただし、この手の雑誌は、往々にして内部でのみ理解可能な内輪ウケのものになりがちで、その点、この冊子がそこを乗り越えて普遍性に到達できているかどうかは、半分内部の人間である私には判断できない。

 ところで、T君において、「アナログ」とは「紙に印刷されたもの」であり、中が手書きになっているわけではない。この点、我が手書きの「月曜プリント」は、アナログ度において数段上を行くと自負できる(ふふふ)。

 思えば、私も大学時代に、同級生が始めた『無番地』なる同人誌に関わり合っていたことがある。発起人の一人の住所が「仙台市川内無番地」だったということに由来する安易な名前の冊子であるが、1983年から1993年過ぎまでの間にのべ70冊以上が出された(私の手元にある最後のものは1993年4月刊の第71号だが、これが最後という保証もない)。この手の雑誌としては長寿の雑誌であった。ワープロ・パソコンの発達と時期を同じくするため、中の書体が、手書きからどんどん活字へと変化していく様が面白い。少なくとも一時期、大学生協の書店には置いてあったし、もともと昭和56年文学部入学の同級生によって始められたとはいえ、次第に他学年・他学部からも参加する者が現れるなど、同人誌としては開かれたものの部類に入るのではないかと思う。2ヶ月に1冊くらいのペースで刊行され、刊行後には誰かの家に集まって真面目に「合評会」を開いていた。別に文筆家を志す学生が集まっていたわけではなく、酒を飲む口実で合評会を行っていたわけでもない。創刊時の中心メンバーのみならず、第2世代までもが大学を離れるに順い、廃刊を宣言することもなく雲散霧消してしまったようだが、20代前半のある時期、専門の違う人間が集まって止め処のない議論をするきっかけになっただけでも価値はあったのかと思う。我が家で、通常は段ボールに眠っている『無番地』をふと手に取ると、そんな記憶がいろいろとよみがえってくるし、当時の様々な思考の後を継いで思考を続けられそうな気がしてくる。電子データではそうはいくまい。

 紙の冊子(本)を手に取った時の質感は、中に込められた情報の発信時期と量とを肉体的に把握させてくれる重要なものである。時間がたっても古びていかない電子データと違って、時の流れという根源的な現象に対する人間の感覚を麻痺させることはない。パソコンを立ち上げる手間もいらず、パソコンが故障することによって見ることができなくなるということもない。アナログであることは、人間の感覚に実に自然に寄り添っている。物事は、中身だけが大切なのではなく、それに付随する情緒もまた大切なのである。これは、経済効率最優先の世の中で、経済的価値に還元できないものの価値をどう評価するか、という問題と重なり合う。

 T君は私よりも20歳以上若い。そんな若者が、アナログの価値を感じ取り、手間をかけてそれを形にしようとすることは、アナログしかなかった時代に学生時代を過ごした私のような人間が、デジタルの時代になってもその価値を捨てられないとするよりも、よりいっそう積極的な価値を持つのではないだろうか。

 『野蛮ZINE』は第4号らしいが、『済美記』は一発もののようだ。続くと面白い。楽しみにしよう。