今夏のお手紙教育(1)

 郵便局(JP)に、「手紙の書き方体験授業」という企画がある。申し込みをすると、「手紙の書き方」という24頁の冊子と、本物の郵便はがきを届けてくれる。はがきは1人2枚まで、かもメールや年賀はがきでもいい(同一種を2枚はダメ)。すごい経費だ。どうしてこんなことをするのか、というのは、容易に想像が可能なのだが、JPのホームページを見ると、以下のように解説されている。

「平成21年、全国の小学6年生(約120万人)に対して実施された文部科学省全国学力・学習状況調査』において、はがきの表書きに必要な事柄を書く順序を問う問題の正答率が、67.1%という結果が発表されました。
 この結果について調べてみると、子どもたちが、手紙を書くことを経験する機会が極めて少ないことが分かりました。これは、思いを文字で書いて伝え、やり取りを行うという基本的な言語活動が失われつつあるということであり、小学校の授業の場で、小学生の皆さんに手紙の楽しみ、喜びといったことをしっかりと経験して欲しいという願いから、平成22年6月、全国の小学校(特別支援学校を含む)を対象として『手紙の書き方体験授業』を行っていただく取組を開始し」ました。

 この企画は、中学、高校へと順次拡大した。高校が対象として設定されたのは、5年前の2014年である。
 純アナログ派である私は、お手紙大好きである(→参考記事)。しかも、出来るだけPC(ワープロ)ではなく、手書きのお手紙を出したいと思うし、もらいたいと思う。そして、上の趣旨説明にあるように、私自身も、子供たちが手紙のやりとりという経験が出来なくなっていることを憂い、ぜひそのような体験をして欲しい、と願っている。
 私自身は、小学校以来、実に多くの手紙を書いた。特に、中学校の時には、遠隔地に転校したことがあったりしたものだから、手紙を書く機会は大きく増えた。中学校以来受け取った手紙は、全て保存してある。それは年賀状を別にしても段ボール1箱を軽く超える。
 「文字は人なり」。しかし、メールの文字に「人」は表れない。どんな封筒、便せん、切手を使うかということまで含めて、「手紙は人なり」である。また、速くて便利で簡単が価値の全てではない。手紙が手に取れる「物」だというのも重要なことだ。ポストの中に手紙を見付け、相手がそれを書いた時との時間や距離の隔たりを目と手で感じること、返事を待ち焦がれ、ポストの中を毎日気にする感覚、これらはやはり、メールのやりとりで感じられるものとは違うのではないだろうか。
 そこで、前任校で某同僚からこの企画を教えてもらった時、学校として取り組もうと言って、すぐに申し込みをした。塩釜高校でも、私が赴任する前からこの取り組みは行われていた。しかしながら、国語科教諭が3人しかおらず、私以外は非常に若い水産高校と、10人いて、そのうち9人が45歳以上という塩釜高校では、だいぶ事情が違う。塩釜では、教科会で一応やろうということにはなるものの、取り組みの温度差は非常に大きい。こういう時に、果たして「無料」がいいことなのかな?という思いが、ふと頭をよぎる。やる気のない人も、タダなんだからとりあえず申し込むくらいいいんじゃないの?となりがちなのである。別に、やるとなれば学校全員で、と決まっているわけではなく、やる気のある教員のクラスだけ申し込むことは可能なのだが、今までがそうなっていなかったということで、ついつい前例踏襲となる。
 さて、冊子やはがきが届いた後のやり方は、以下のとおりである。

・事前アンケートを実施
・冊子を使っての手紙の書き方授業
・事前アンケート2を実施
・生徒がはがきを書いて投函
・しばらくしてから事後アンケートを実施→JPに報告

 事前アンケートの項目をいちいち書いてはいられないが、一つ面白い質問があって、その結果も意外なものであった。
 その質問とは、「メールや電話ではなく『手紙でしか伝えられないことがあること』を感じたことがありますか?」というものだ。回答した228人中、なんと85人が「ある」と答えた。率にして37%、3分の1を少し超える。
 私くらいのお手紙愛好者でも、「ある」と答えようとして、では、それってどんなことなのかな?と立ち止まったが最後、なかなか具体的な例を思い浮かべることができず、答えるのをためらう、というような質問である。う〜ん、この子たちにとってメールではダメな「手紙でしか伝えられないこと」って何なのかなぁ?がぜん、生徒の手紙意識への興味が高まったのであった。(続く)