入院の記録(番外)

 先週の入院に関係あるようなないようなことを一つ書いておこう。
 我が家の裏に、1人の老人が住んでいた。年齢は85歳くらい。近所付き合いというものがほとんどない我が家にとって、ほとんど唯一の「お隣さん」だ。子供たちのことをよくかわいがってくれていた。数年前に奥さんを亡くしてから、一人暮らしが続いていたが、とても元気で、生活に困難があるようには見えないほどだった。(いつも我が家で呼んでいたとおり、以下「おじさん」と書くことにする。)
 そのおじさんの車を久しく見ないことに気付いたのは、先月半ば過ぎだっただろうか。そうしているうちに、車は戻ってきたが、おじさんが帰宅した気配はない。私が薪バイに行っている間に、普段は東京に住んでいる息子さんが訪ねてきて、家内に事情を話したそうだ。
 それによれば、先月初めに肺炎となり、入院した。肺炎は治ったが、認知症がひどいので、もう自宅には戻さず、どこかの施設に入れるつもりだ、とのことだった。私たちはびっくりした。1ヶ月くらい前、我が家の前で姿を見ていた時には、認知症の気配など感じることは一切なかったのである。この時は、入院先を聞くのをうっかり忘れていた。
 1週間ほど前、おじさんの家の門に大きなスズメバチの巣があるのを見付けた。いかにも活発なスズメバチがたくさん出入りしている。たまたま息子さんが帰っている気配を感じたので、その件について相談に行き、この時初めておじさんの入院先を聞いた。石巻市立病院である。なんだ、間もなく私が入院する所ではないか。よしよし、入院したら部屋を訪ねてみよう、と思った。肺炎は治ったのだが、入る施設が決まらずに困っているのだ、と頭を抱えていた。私の父の時のことを思い出す。
 先週の月曜日に入院し、初日は暇だったものだから、おじさんの部屋を探しに行った。すぐに見つかった。私の部屋からわずかに7部屋東に行ったところである。部屋まで行って、その風貌を見て息をのんだ。おじさんであることは分かるのだが、全然おじさんでない。本当の痴呆老人の姿であった。車椅子に座り、手には自傷行為等を防止するための大きなグローブを付けられ、映っていないテレビの画面に顔を向け、焦点の定まらない目をうっすらと開けていた。近づき難かった。
 数時間後、散歩に行った時には、ナースステーションに同様の状態で座っていた。見てはいけないものを見てしまった気がして、目をそらそうと思ったが、一瞬目が合ってしまった。・・・ところが、その表情には何の変化も表れなかった。
 高齢者が入院すると、コンディションが激変することがある、という話は聞いたことがあった。しかし、これほどとは思わなかった。私はそれを恐ろしいと思った。自分がそうなったらどうしよう、という恐怖だ。おそらく、本人は、自分が今どのような状態であるかは理解できていないのだろう。周り(特に施設)はそのような人も含めて、人の世話をするプロばかりだから、そのような人がいないと仕事にならないわけで、「迷惑」というのは当たらない。
 だから、あくまでも私にとっての衝撃は、自分がそうなったら嫌だな、というものである。いくら人に仕事を提供することになるとは言っても、やはり、私は自力で、思索しながら生きていたい。それが出来なくなった時は、人生の終わりでいっこうにかまわない。命の絶対的な価値を決して否定するつもりはないし、他人について死ねばいいのに、などとはゆめゆめ思わないのだが、私自身は、その状態で生きていることは不本意だ。
 私の父の時のことなど思い出すと、そのような廃人と言うべき状態は、基本的に医学の進歩によって、否応なく生み出されてしまう。文明の発展によって生み出されたマイナスは、文明の発展によって回避するしかない。自ら安楽死選択の権利を持つだけでなく、日頃から意思疎通をしておき、家族が私について死の選択を出来るようにして欲しい。
 とにかく、わずか1ヶ月ほどのうちに、あらゆる感情や思考を失ってしまったかのようなおじさんの姿は、私にとって衝撃だった。