聖火到着

 肺炎については呑気な発言を繰り返してきた私であるが、イタリアやイランのニュースを見ていると驚く。特に、テレビでイタリアの教会内にずらりと棺が並んでるのを見た時には、いかにも「伝染病」というものの力を見せつけられた気がして、背筋が冷たくなった。イタリアやスペイン、イランで、中国以上の率で感染と重篤化、死亡が増えているとなれば、それはイタリア人、スペイン人、イラン人の遺伝的特性に原因があるのではないか?と想像してしまう。
 それはともかく、今日は強い風の吹くなか、父の墓参りに行った。
 朝起きたら、眼下に見える南浜復興祈念公園にパトカーが停まっている。そう言えば、今日は東京オリンピックの聖火が到着する日だ、と思い出した。それにしても、ずいぶん早くから警察というのは来るものだな、と驚いた。仙台市近郊に住む老母を訪ね、一緒に墓参りをするのを、今日と約束したのは失敗だった。今日は一日、我が家から人の動きを観察していたら面白いだろう、と思った。
 アテネから来る飛行機は、我が家から車で15分の所にある航空自衛隊松島基地に着陸し、それに合わせて到着式が行われることになっていた。実は、私の息子も、小学校内での抽選に勝って、その式に参列することになっていた。吉田沙保里野村忠宏サンドウィッチマンを間近に見られるとあって、息子はずいぶん楽しみにしていた。ところが、肺炎騒ぎである。式は行うが、小学生や一般市民の参加はナシになってしまった。
 なにしろ、式典の規模が極端に小さくなってしまったので、我が家のすぐ下に聖火は展示(?)されるらしいが、私はまさか聖火を見るために多くの人が来るとは思っていなかった。だからなおさら、聖火到着の3時間以上前から警察が来ることが異様に思われたのだ。
 ところが、墓参のために子どもたちを車に乗せて三陸自動車道を南に走ると、北向きの車線が非常に混んでいる。鳴瀬・奥松島の料金所では渋滞さえ発生していた。え?これってまさか聖火見物の車じゃないよな・・・?しかし、外出自粛ムードの漂う今、これほどの車が動いている理由は他に考えられなかった。
 老母を連れて墓参りをしたり、買い物に付き合ったりして、帰宅したのは18時半頃のことである。これがまたびっくり仰天。自宅に近づいたところで、渋滞に巻き込まれたのである。しかも、なかなか車が進まないほどの重度の渋滞だ。どうやら、車は皆、南浜復興祈念公園の「がんばろう石巻」看板を目指しているらしい。聖火は到着したのだろうが、2日ばかり展示してあるはずだし、イベント自粛の折、何かをやっていることもないだろうし、どうしてこんなに車が集まるのだろう?近隣住民にとって迷惑極まりないことだ、と思った。
 帰宅すると、留守番だった妻が、慌てた様子で玄関に出てきた。聖火は2日間展示されると思っていたが、「2日間」というのは、宮城県に2日であって、石巻には今日の19時までしか展示されないらしいのだ、見に行こう、と言う。
 私は、オリンピックに関して、一流選手の技を見ることができることには価値があると思っているが、「火」なんて、ギリシャで太陽光から採取しようが、我が家でマッチを擦ろうが同じだと思っている。だから、そんなものをわざわざ見たいなどとは思わない。だが、聖火を展示してある場所が、なにしろ我が家から徒歩5分くらいなので、まぁ、その程度の手間なら一度見ておくかと、家族で行ってみることにした。聖火撤収(仙台へ移動)のわずか15分前のことである。
 渋滞から想像はしていたのだが、たいへんな人出である。風が強く、「砂塵嵐」と言いたいほどの砂埃の舞う中、多くの人が足早に聖火を目指していた。こんなことが今日一日中続いていたのか、このために数百台、数千台、いやいや、もしかするとそれ以上の車が石油を燃やして遠くからやって来たのかと思うと、人々の暇と無駄とにめまいを感じるほどである。オリンピックというイベント自体も含めて、資源浪費の上に成り立つ間違った豊かさの中で、みんなが暇を持て余し、イベントを求めているだけなのだな。
 聖火は見た。やはりただの火だった。人々は一様にスマホで写真を撮っていた。私には、それも異様な光景に見えた。