これは何のための記事だろう?



 震災後半年を目前に控えた9月8日、『河北新報』は、石巻市立大川小学校のことを大々的に取り上げていた。大川小学校とは、今更説明するまでもないだろうが、全校生徒108人中74人が津波で死んだという、今回の震災を代表する悲劇の舞台である。第1面の半分に始まり、第15面全面、第22、23面それぞれ3分の1という正に大々的な破格の扱いであった。

第1面の見出しに、「学校前にバス待機」「石巻・大川小の悲劇 保護者ら証言 全員が避難できた」とあるのを見て、私は、この記事何のために書かれたのかな?と思った。いかにも、ああすればよかった、こうすれば助かったという「タラレバ論」の記事と察しが付いたからである。 読めば正にその通り。待機していたスクールバスに乗って逃げていればみんな助かったはずだとか、体育館の裏手なら山道も傾斜が緩いので、低学年でも山に登れたとか、そんな記事が続き、遺族や助かった児童の証言が添えられている。こんなことを今報道することに、一体どのような意味があるというのだろうか?しかも、大川小学校が大きく取り上げられたのは、今回が初めてではない。

 大川小学校は、新北上川を河口から4Km遡ったところにある。もちろん、川と小学校の間には立派な堤防がある。誰も、ここが津波にやられるとは思っていなかったであろう。大きな地震で生徒が動揺している上に、近隣住民や保護者が集まってきて、先生方はそれに対応する必要もあったという。遺族の方には申し訳ないが、私には誰も攻められないような気がする。自然がそれほどまでに圧倒的に強かったということだ。

 私の知人で、この小学校に通っていた息子を亡くした人がいる。直接話を聞いて思ったのだが、息子を失ったことはもちろん悲しいし、無念である。しかし、彼の心の中には、当日たまたま不在で助かった校長の、その後の言動に対する不満が強くわだかまっている。悲しさや悔しさのはけ口を求めた結果ではないと思う。何日か後にようやく姿を現した校長が、泥をかき分けて子ども達を探すわけでも涙を流すわけでもなく、真っ先に、校長室の書類の心配をしていたということ、その後、明確な説明も謝罪もしようとせず、言い訳ばかりを並べ立てた(彼はこう感じた。事実は不知)ことに対する不信と怒りである。

 個人攻撃になることをはばかってだろうか。『河北』も、これだけ大きなスペースを割いていながら、そのことには触れない。

 今回の記事にある「タラレバ論」も、それが普遍的な教訓に結び付いているのなら、多少の価値はあるかも知れないが、残念ながら、そんな感じもしない。

 私が、書店に大量に並ぶ震災関連書籍を見ながら感じることと、この記事を見て感じることは同じである。悲惨な大事件に対するただの野次馬なのである。それを、全国で最大という地方紙がやってしまうところに、何とも言えない不愉快を覚える。

 こういう言説が飛び交い、街には「絶対負けない石巻」の類の空疎なスローガンがべたべたと貼られているのを見るに付け、本物というのは、ボランティアであれ自衛隊(もう終わったけど・・・)、警察、土木業者等であれ、そういったものとは無関係に黙々と無言で体を動かしているのだろうと思う。