ロートルの子育て



 昨日は、夕方から前任校・某クラスの同級会なるものが行われることになっていたので、少し家を早く出て、大学時代の同級生T君の家を訪ねた。以前から、一度家族交流をしようなどと言っていたのである。

 T君は、浪人して大学に入っているので、私よりも1歳上である。その彼の家には、1歳半のMちゃんという可愛い女の子が居る。T君にとって第一子であるMちゃんが生まれたのは、彼がおそらく48歳の時だ。驚くことではない。恥ずかしながら私だって、盛大な紆余曲折の挙げ句、第一子を授かったのは42歳の時だ。

 私の家に時々家族で遊びに来るO君は、もしかすると30代のうちに第一子を得ているかも知れない。それでも、世間的に見れば十分「遅い」ということになるだろう。Sさんも40を過ぎてから、Kさんは50を過ぎてからの第一子だ。私の身の回りには、このような人が少なくない。ふと気が付けば、みんな高校か大学の教員である。どこの高校・大学でも同様だと思うが、私の通う水産高校にも独身者は少なくない。だから、いささか語弊はあるが、40でも50でも子供がいるだけでまだ「普通」だという気もする。さすがに、「標準的な」20代半ばのパパ・ママと付き合っていくのは難しいので、いきおい、同様の境遇の人間(家族)が交流することになる。

 現在受け持っている生徒の親は、私よりも若い人の方が多い。いいとか悪いとか言うような問題ではないし、言ってもどうなるものでもないということはよく分かっているが、時々「どっちの生き方がいいのかなぁ?子育てにはどっちがいいのかなぁ?」などと考える。

 年を重ねることによって、いろいろと感じ方考え方は変わる。それは当然、子供と接する時の姿勢に反映される。20代で、余計なことを考えず、ただやみくもに子供と向き合うのがよいのか?40代にもなり、その間いろいろな人たち(特に生徒や親)と接することによって何かしらの思想を持ち、それに基づいて子供と向き合うのがよいのか?子供の成長など、遺伝子に始まってありとあらゆる環境条件が異なるので、いったいどの要素が反映されたか確かめようなどない。だから、いくら頑張っても結果の比較は難しい。

 しかし、子供にとって親が本当に重要な存在であるというのはよく分かるので、健康に生きている確率が年齢とともに下がる以上、年を取ってからの子育てというのはリスクが高い。従って、出来れば避けた方がよいということにはなるのかも知れない。加えて、女性の場合は特に、年齢が上がるに従って出産のリスクも高まり、障害を持った子供を生む確率も高まるらしいので、なおさらだろう。

 私自身は、よく言われる「年をとってから生まれた子は可愛い」などという感覚はよく分からない。可愛さに年も何もあるものか、と思う。ただ、「スイッチを絶対オフにできないおもちゃ」とも言うべき子供に付き合うのが、体力的に厳しくなってくるのも事実だ。しかし、年齢とともに、人間は時間が過ぎ去っていくことに対して絶望的な哀しさを感じるようになり、それに比例する形で、平凡な一瞬一瞬に美しさといとおしさを感じるようになるものである。だからこそ、これからの人生の長い子供にも美しさを感じるし、子育ての時間により一層の充実を見出すことも出来るように思う。

 T君もMちゃんが可愛くて仕方がないといった風情であった。ロートル(年寄り、年配者)の子育ても悪いものではない。