自然が人間を弄ぶ・・・石油の値段



 原油の取引価格が、1バレル30ドルを切ったということが、大きなニュースになっている。過去の最高値は147ドルだそうだから、なんと5分の1。石油はイコール文明で、しかも再生不可能。となれば、資源の量が減り続けている上、脱石油など実現する気配もないのだから、どんどん貴重になり、値段も上がって当然。にもかかわらず、現実は逆だ。こんな不自然な話はない。

 どうしてこんなことになるかというと、産油国が自国の利益を確保するために、減産できないからだという。シェールオイルを採算ベースにのせたアメリカやカナダと、中東諸国その他のシェア争いも熾烈なのだそうだ。正に後先考えない、目先の利益争いだ。既に一部の産油国では国家財政の危機が心配されているそうだが、あのサウジアラビアでさえ、この価格が5年間続いたら、外貨備蓄が底をつくというから、産油国の国家財政の原油への依存度や外貨消費量はすさまじい。

 もちろん、私は限りある資源を出来る限り長く使えるようにするためにも、二酸化炭素の排出を抑えるためにも、石油の消費は出来る限り少なくすべきだという主義者だ。お金によって価値を評価するから、石油の価値を誤解するのだ、ということも昔から言っている(→たとえば)。石油は、お金というものの性質を考えさせてくれる最高の練習問題だ。

 クリスマス前日に毎日新聞で面白い記事を見付けた。OPECによる原油価格の予想だ。それによれば、2020年には1バレル70ドル、2040年には95ドルまで上昇するという。OPEC非加盟国は2025年から減産に転じるが、加盟国は増加を続けるといった虫のいい前提もあるが、私には妥当な数字に思える。少なくとも方向性としてはそうなるはずだ。よほど強力な代替物質が出現しない限り、価格の下落は一時的であり、長期的には石油価格は絶対に上がるしかないのである。もしも出来るだけ値段の上昇を抑えたければ、みんなで使い惜しみをするしかない。

 ともかく、日本は石油に頼り切って経済力を維持しているわけだから、原油価格が下がることは諸手を挙げて大歓迎、のはずだが、正月以来株価は昨日を例外として下落を続けている。私は最初なぜなのか理解できなかったのだが、産油国が資金の引き上げを図っているからだと聞いて、世の中というのは難しいものだな、と思った。株価というのは、私が見た感じ、ただの投機でしかなく、経済の実態などさほど反映していない、いわば虚構の数字なのだが、それでも世間がこれだけ騒ぐからには、何らかの意味と影響力は持っているとしなければならない。原油は高くても安くても経済のブレーキになる。アベノミクスの限界が露呈するのは少しでも早いほうがダメージが少なくて済むので、変な一時的好調など出現しない方がかえっていい。その点では、株価を下げた低い石油価格というのは評価に値する。

 だが、お金の価値を哲学的に考えない人は、安さをいいことに見境のない石油の消費をするだろう。それによって経済が活性化すれば、自分たちの努力の成果と信じ、無邪気にそれを喜ぶだろう。もちろん、それは二酸化炭素の増加、地球環境の悪化を招くし、エネルギー危機の到来を早める。目前の利益だけを考える人々は、そんなことを意識したりはしない。

 これらのことを考えると、私には自然が人間を弄んでいるように思えてならない。資源の枯渇が先か、消費による環境悪化が先か、そのどちらかによって人間が長く生き延びられるかどうかが決まる。どちらを先にするか、人間には決められない。目前の繁栄を享受し、笑顔を振りまきながら、人間は運命のジェットコースターに乗っている。