謝罪は感情的

 また台風が来たので、仙台港での自動車運搬船見学は中止。残念!!
 さて、オリンピックも高校野球も終わって、スポーツ気違いの子供たちも、テレビ、テレビと言わなくなった。なんだか、一つの狂騒が終わると、秋風が吹いているかのような気持ちになるから不思議だ。何かにつけて「一流」大好きな私は、もちろんダイジェスト版でではあるが、オリンピックの様子はよく見ていた。意外にも、日本人選手の精神的なタフさが印象に残った大会だった。
 豊かさに呆けてハングリー精神を失い、食べることの心配をすることなく純粋培養されたスポーツ選手は、精神的なもろさを持っているはずだ。しかも、それらの点においては同様の条件下にある欧米に比べても、民族的性質として個が確立しておらず、主体性に欠ける日本人は、内側から支えられている度合いが低いので、追い詰められた時に、なおさらその弱さを露呈しやすい。とまぁ、これが私の見方だったわけだが、残念ながら、そうはならなかった。「平居、ざまみろ!」といったところだろう。
 準々決勝の錦織、決勝戦の高松ペア、卓球は男女とも、体操の男子、伊調をはじめとする女子レスリングの面々などなど、本当に追い詰められた所で感動的に粘り、力を発揮した。最終的にメダルを取ったかどうかはどうでもいいつもりなのだが、やはりそれに執着することによって引き出されてくる力には価値があると思った。
 多くの報道の中で、20日の日刊スポーツに載った為末大の「日本選手はなぜ謝るのか」という記事を、特に面白いと思って読んだ。ひときわ印象に残ったのは、冒頭の一節だ。

「現役時代にはあまり気がつかなかったが、引退してからミックスゾーンにメディア側として立って、あらためて感じたのは日本選手のインタビューの特異さだ。成績が悪かった時のアメリカ選手が、自分なりの敗戦理由と次の目標を語るのに比べ、涙を流しながら「期待に応えられずに申し訳なかった」と謝罪し続ける選手を見ていて胸が苦しかった。」

 読みながら、女子卓球準決勝の時の福原や、女子レスリング決勝での吉田のインタビューが頭の中に蘇ってきたが、それによってこの記事が心に響いた、ということではない。もっと重要なのは、第1回ラボ・トーク(→こちら)で聞いた尾池先生の「プロジェクトが失敗した時に、アメリカの研究者は徹底的に原因探しをするが、悪者捜しにはならない、一方、日本では、誰が悪いかということを追求して、本当の意味での原因究明はしない」というお話である。科学技術の世界でもスポーツの世界でも、日本人の心性というのは同じであるということに改めて気づかされて、感慨を抱いた、ということである。
 為末は、日本人選手が謝罪する理由を「負けた原因を分析したら言い訳と批判され、純粋な感覚を表現すれば負けたのにヘラヘラしていると言われる。選手にとっては競技をすることが一番大事だから、変なことで社会から反感を買いたくない。結局、一番問題が起きにくい謝罪一辺倒の受け答えになっていく」と、あくまでも方便として分析している。だが、果たしてそうなのだろうか。
 日本人の謝罪は、非常に感情的な生き方が背後にある。謝罪なんかしても、生産的なものは何もないのに、それだけで何かが解決したような気になってしまう。潔さに心引かれる美学、というのもあるかも知れない。義理人情の延長線上でもある。だがやはり、謝罪するのであれば、更に大切なのは、謝罪するということは落ち度を認めるということだから、何が落ち度なのか、それを解決し、克服していくためにはどうすべきだと考えているのか、をこそ語らなければならないだろう。その点、為末が指摘するアメリカ選手の「自分なりの敗戦理由と次の目標を語る」姿は、正にその通りのことをしていて合理的である。
 スポーツでも科学でも同様で、オリンピック期間中ずっとそれが目につき、外国選手と比べても特異な現象と言えるものだったとすれば、これはやはり国民性というものだろう。国民性というものは、長い歴史と風土の中で無意識のうちに作り出されたものだし、場面によってそれが善にも悪にもなるもので、無理に矯正なんかしようとした日には、よい面まで失うことになってしまうから、あきらめて受け入れるのが一番いいと思う。
 少なくとも私は、日本代表になるだけでも偉大なことであり、まして世界で2番とか5番とかになるのは、ほとんど神の領域に属することだと思っているし、そもそもスポーツを国家や国民のためなどと思ってやらないで欲しい、と思っているので、一日本人として、選手に謝って欲しいなどとはゆめゆめ思わない。だが、謝罪なんて誰にとっても楽しいことではないだろうから、最後に謝罪をする羽目になりたくない、という気持ちが選手を支え、精神的なタフさを作りだし、そのタフな精神によって名勝負が生まれ、私たちが感動するとすれば皮肉なものだ。何もかもがうまく落ち着くというのは難しい。