「抱負」に正解はないけれど・・・

(4月22日「学年主任だより№3」より①)


 桜の季節の最後に、校章のモチーフにもなっている塩釜桜が満開!あちらこちらで菜の花も盛りを迎えている。が、春はいいなぁ、とも言っていられなくなってきた。沖縄には台風2号があって、発達している。一時は中心気圧が900hPaを切る猛烈な勢力になっていた。言うまでもなく、海水面の温度が異常に高いからこんな現象が起きる。恐ろしい世の中である。
 ところで、大荒れという予報だったのに、目が覚めてみれば快晴だった日曜日、ふと思い立って松島海岸に行った。「何をいまさら松島」と言う人も多いだろうが、3年あまり前に「平成の大修理」を終えた瑞巌寺(国宝!)は、あまりにも美しい。年に1度くらいは見に行っても損はない、というものである。
 昨年、教養講座で西本願寺大修復の記録映像を見てもらった(→その時の記事1その時の記事2 )。直後に書いてもらった感想には、伝統技術に対する驚きや感動を記したものが多かったが、「ぜひ本物を見てみたい」という記述も少なくなかった。
 西本願寺に使われた技術は、西本願寺だけのものではない。実際に関西地方に行かなければ、関西文化を肌で感じることはできないし、、それが修学旅行でなければ、仲間と生活を共にするという体験もできない。だが、同レベルの文化財や建築物の素晴らしさに触れることは、身近な場所でもある程度できる。その筆頭が瑞巌寺だ。近くに住んでいるけれど、本当にじっくり見に行ったことがある人、どれだけいるかなぁ・・・?すぐ近くにある円通院も含めて京都レベルだと思うよ、私は。
(修復工事を請け負った鹿島建設のHPに、「特集 よみがえる国宝 瑞巌寺」というページがある。さほど充実した記事ではないが、見に行く時はそれで最低限の予習をした方がいい。)


【「今年の抱負」で思ったこと】

 私が授業を担当する普通科の6クラスで、恒例の授業オリエンテーションを行い、最後に今年の抱負や授業についての要望を書いてもらった。実にいろいろなことを書いてくれたので、読んでいて楽しかったのだが、それはたいてい要望や私の印象についての部分であって、抱負の部分については、「赤点を取らない」とか「テストで80点以上取る」など、考査の得点を目標に掲げるものが多かった。私はいちいち「テストのためだけでなく、スケールの大きな勉強をしてください」というようなことを書き込んで返した。
 学年の指導目標にも書いてある通り、諸君に必要なのは「長い時間的視野に立つ」ことだ。平均して60年ほどの時間が諸君には残されているのだから、少なくとも今やっていることが50年後にどのような意味を持つのか、そういう観点を持っていることは必要だ。しかし、50年後に何が必要かを見抜くことができる人はいない。だからこそ、「要る」とか「要らない」とか安易に判断せず、手当たり次第に勉強すればいいのだ。「長い時間的視野に立つ」とは、将来を見通すと言うよりも、今に振り回されないということだ。考査をあまり意識すると、それ以上の時間スケールに立てなくなる危険性がある。
 「頭を柔らかくして、いろいろな方向から考えられるように頑張りたい。」「ただ頭に入れるだけではなく、本質を理解して、考えることを常にできたらなと思います。」抱負や要望に「正解」があるわけではないけれど、やはりこういうことを書ける人はすごいな、と感心する。