伝統技術の継承という問題

(9月30日付け「学年だより№63」より②)


【感想特集 第2回教養講座】

 前回(→こちら)に引き続き、『西本願寺御影堂10年大修復』という番組(後編)を見てもらった。私個人としては、後編より前編の方が作品として優れていると思うのだが、視聴環境の問題もあってか、後編の方がよい、と感じた人が多かったようだ。感想の内容に出来不出来はあったが、元々、各自の感性や能力も違うわけだし、「学ぶ人は何からでも学ぶ、学ばない人は何があっても学ばない」のだから、それは仕方がない。復習を兼ねて一部紹介する。

「畳のわらに宮城県産のものも使われていると聞いて、嬉しかったです。一つ一つの材料を各地に探しに行くのが大変だと思いました。岩手県浄法寺町の漆は、1年で200gしか取れないのに驚きました。AI技術が多くなってきている今、人間にしかできないのがこのような職人技なのに、後継者が減ってきているので、もっと現代の人にも魅力を知ってもらい、日本固有の技術を継いでいってもらいたいと思いました。」

「御影堂のような世界遺産を見て、いつも「おぉ~すごいなぁ」くらいにしか思わなかったけど、このビデオみたいに、どうやって作られたのか、どれだけ大変だったのかを見ると、その建物を見る感じも変わるな、と思いました。ほとんど全部手作業だったり、江戸時代と同じ『そのまま』の作り方?のために、たくさんの県から材料を集めて長い年月をかけて作って、とても感心しました。改めて、職人ってとてもすごい人なんだということを実感できるビデオでした。」

「柱を反射する漆の床がとてもきれいで、声も出なかった。特に信仰心があるわけではないのだが、あの景色を思い描いたのはすごいと思った。叶うのならば、いつか直接見てみたいと思った。また、柱の彩色で、当時使われていた藍泥を作るのが難しく、インド産の藍を使ったとあったが、現代でこうならば、昔はどれほど気の遠くなる作業だったのだろうか、と思った。様々な技術を使って修復した御影堂をいつか見てみたい。」

「金箔と漆は生きているということに驚いた。床の漆塗りは、私もやってみたいと思った。あんなに鏡のようにきれいに塗れたら、職人としての誇りになると思う。そして、満足感も得られるだろう。最初、盛り上げ胡粉は汚いなと感じたが、完成を見たら美しく仕上がっていた。生で見たい。金箔が本当にきれいで、全てのものをマッチしている所を見ると、デザインも考えて作られたことが分かって、やっぱり生で見たいと思った。」

「部分ごとにそのパーツを担当するプロの人達がいて、その人達が黙々と作業をしているのを見て、その人にしか出来ないことを淡々としているプロの人達も、御影堂と同じくらい大切な存在で、昔からの良さをこれからも伝えるには重要な人たちで、かっこいいなと思いました。その人達の後を継ぐ人がいないことも残念だし、その理由が生活ができないという理由なのがもったいないと思いました。日本の歴史を守るためにも、職人の方達が生活で使うお金のことを気にせず、その人しかできない仕事に真っ直ぐに取り組めるように、税金などを使い補助ができる制度などを作ることは出来ないのかと思いました。」

「金箔を漆に重ね合わせた時に、ピタッと吸い付くようになじんでいくところが綺麗だった。柱の模様や、修復された装飾を見た時は、思わず小さく「わぁ・・・」と声に出してしまった。修復されてこんなに美しいのだから、きっと作られた当時はこれよりも美しかったのかも知れないな、と思うと、当時の姿も見てみたくなった。でも、自分と同じ平成に生まれた修復された本願寺も見てみたいと思う。」

「日本の各地でいろいろな和紙が作られ、それぞれに特徴があり、その特徴を生かしていろいろなところに使われていることに感動した。なのに、その道具を作る職人さんの収入が1日に4000円というのは悲しいです。何とかならないものだろうか?と思った。」


(ブログ用の補足)
 上を読んでもらえば分かるとおり、映像の中に出てくる伝統技術の後継者問題(=職人の生活が成り立たない)に、少なからぬ生徒が衝撃を受けたようだった。後から後から映し出される伝統技術が、どれもこれも素晴らしいものだけに、その衝撃はなおさら大きかったということだろう。
 だが、そもそも、それらの後継者問題=伝統技術の衰退は、私たち日本人全員の選択の結果である。家でふすまを張り替える時に、高価ではあるが100年持つ和紙ではなく、10年しか持たなくていいから安い大量生産品を使う、といったことだ。更に、誰かにそれらの技術を継承して欲しいとは強く思うけれども、自分ではやりたくない。仮に、それらの仕事で食べて行けたとしてもだ。そして、当の生徒はファッション、美容、スポーツ、音楽などに関係した仕事に就きたい。
 以前、拙著『それゆけ、水産高校!』に書いたことだが、10年余り前、気仙沼市の某中学校で、2年生とその保護者にアンケートを取ったところ、次のような結果が出た。

・自分が進みたい(子どもに進ませたい)学科
       普通科70% 水産科は10%未満で5位
・地域に必要と思う学科  水産科は25%以上で3位

 2013年末に同じく気仙沼市で、よく似た調査を高校生相手に行ったところ、次のような結果が出た(2014年3月14日朝日新聞)。

・市に誘致、設置するのにふさわしい学部、学科は?
         水産海洋系が34.1%でダントツの1位
・自分が進学を希望する学部、学科は?
         水産海洋系は1.6%で最下位

 伝統技術の継承もこれと同様なわけだ。やがて、ヨーロッパのように、本当に生活に密着した仕事や汚い仕事は、海外からの出稼ぎ労働者に任せ、自国人は上に書いたような外面的に華やかな産業にのみ従事する、ということが起こってくるかも知れない。
 多くの大人は、そんな子どもたちをすぐに「応援」し、むしろ子どもたち自身よりも熱心にその実現のために尽力する。私は逆だ。そんな地に足つかない子どもたちの「夢」を問い直すことこそが、大人(←教師だけではない)の仕事だと思っている。2回のビデオ鑑賞で、伝統技術のすごさに多少は目を見開かせることが出来たようだ。なぜそれらが衰退するのか。今後はそこを掘り下げることで、今の浮ついた生活を見つめ直させなければ・・・と思っているところ。