「東」とは何か?

 今週は火曜日が高校入試(後期選抜)で、昨日と今日とが採点日。2キャンパス制の塩釜高校で、入試関連の作業は全て西キャンパスで行われる。私のように東キャンパス所属の職員はけっこう大変。所定の場所で朝から晩までびっしりと仕事があれば、それはそれで問題ないのだが、時々、他の人の作業待ちというような空白の時間というのが生じる。昼食休憩もある。すると、居場所と時間つぶしとが必要になる。ところが、仕事をしようにも、書類や道具は全て東にあるので出来ない。本を読んでいるにしても、食事をしているにしても、そのためには、快適な居場所を確保しなければならない。
 私は進路指導室というところにいることにしている。人が少なく、絨毯フロアになっていて、立派なソファも使っていない机もあり、暖かくて甚だ快適。
 さて、その進路指導室のコピー機の背後の壁に、1枚の世界地図が貼られている。日本で印刷されたメルカトル図法の地図なのだが、南半球が上、北半球が下という変わり種だ。とは言え、見方を変えると世界は印象ががらりと変わる、ということの例としてよく持ち出される地図なので、変わり種ではあっても、特別に珍しいということもない。南半球で売られている世界地図は南北が逆だ、というような紹介をされたりすることもあるが、それはウソである。我が家には、私がかつてニュージーランドで買った南北が逆の世界地図(「ダウン・アンダー」と言う)があるが、わざわざ探してようやく見つけたものである。それが南半球の「普通」では決してない。
 それはともかく、私が進路指導室のその地図を毎日飽かず眺めているのは、東京を起点として非常に不思議な東西南北の線が書かれていて気になるからである。例えば、東京から「E」すなわち「東」と書かれた赤線をたどると、東京から少しの間はいかにも東へ向かって進むが、間もなく左上にカーブし、ハワイ諸島ブエノスアイレスのあたりを通って、少し角度を戻し、対蹠点(たいせきてん=日本から見た地球の真裏=ブラジル・サンパウロ沖約1000㎞)に至っている。一方、「W」すなわち「西」の線をたどると、釜山までは確かに西だが、その後右上にカーブし、コルカタ(インド)、ダルエスサラームタンザニア)あたりを通り、ナミビアから大西洋に抜けたあたりで角度を戻し、やはり対蹠点に至っている。
 う〜ん、東に行っても西に行っても、やがて南半球に入っていくということを、私の感性が受け付けない。もやもやした違和感に苦しみつつ、ほとんど怖いもの見たさのように、進路指導室に行くとこの地図の前に立って見入ってしまう。そしてふと思ったのは、そもそも「東」って何なんだろう?ということである。
 あれこれ調べてみると、洋の東西を問わず、「東」は太陽と関係する。日本語の語源としては「日頭(ヒガシラ)」、「日串(ヒグシ)」、「日赫(ヒアカシ)」、「日端(ヒノハシ)」などことごとく「日」に関連する(日本国語大辞典・旧版)。漢字においても、太陽が木の高さの中程まで昇った形象だという(大漢和辞典)。一方、英語においても、元はインド・ヨーロッパ語の「aus(輝く)」から来ていて、太陽の輝く方角が「east」だ。もちろん、「西」はその逆(面倒なので説明省略)。
 だとすれば、地軸を中心として、回転する方向が「東」でなければならない。そもそも、東京で北に向いて立ち、右90度の方角が「東」と考えた場合、東京では東向きの線が経線と直交するのに、他の場所では直交する必要ない、というのは理解しにくい。北半球から南半球に行くということは、東へ進むことが同時に南へも進むことになっているということであり、実に変な話だ。地軸を中心に回転することで太陽は昇ってくるわけだから、地球上のどこでも、東向きの線は経線と直交しなければならない。これは、「等角航路」の考え方だ。北極を上とするごく一般的なメルカトル図法で、東京の右へ向かって赤道と平行に延びる線=緯線こそが「東」へ延びる線である。
 東京を中心とした正距方位図法の地図を見てみると、北極点と南極点を結ぶ経線が縦に走り、それから90度右に直線を引くと、ハワイやブエノスアイレスを通るので、進路指導室の世界地図の「E」の線になっていることに気づく。もちろん、逆もまた真。すなわち90度左の線は進路指導室の世界地図の「W」の線だ。正距方位図法では、丸い地図の外周が対蹠点になっている。なるほど、東西南北どちらへ向かっても、最後には対蹠点に到達するという考え方に立ってメルカトル図法に東向きの線を引くから、そんな不自然な線を引く必要が生じるのである。
 しかし、対蹠点へ向かう線は「対蹠点へ向かう線」以外の何物でもないのだ。例えば、北極点から対蹠点=南極点へ向かう線は全て南向きである。では、東と西が存在しないかといえば、そんなことはない。白夜の太陽は天空を一周するはずであるが、その太陽の動きは「左から右」であると同時に、「東から西」と表現することが許されるはずだ。北極点からは東向きの線も西向きの線も書けないが、自転の方向が東。その発想を日本に当てはめればいいのだ。
 あと2週間で春分の日。昼と夜の長さが等しい日、というのは、太陽が真東から上がる日、でもある。我が家からだと、牡鹿半島・大六天山の更に少し北のあたりから太陽が昇ってくる。日の出の前に、こちらから太陽を探しに行く。それが東向きに進むということだ。超音速ジェットで日の出の10時間前に太陽を探しに行くとしたら、ハワイやブエノスアイレスに向かうことになる?いやいや、地軸の回転に沿ってサンフランシスコやワシントンを目指すことになるはずだ。間違い?いや、それでも私の実感はそんな「東」を求める。