神の見えざる手(顧問としての最後の山行)



 仙台一高教諭として最後の週末、私は、金土と応援団合宿付き添いで学校に泊り、日〜月は山岳部の引率で安達太良山、という過密にして濃密な4日間を過ごした。

 3月末に安達太良山へ行き、卒業生の追い出し、若しくは浪人生活スタートの激励、若しくは大学進学祝いのため、温泉付きの「くろがね小屋」でのんびり1泊、というのは、私が前任の石巻高校以来なんとなく習慣化してきたことのような気がする。

 今年は残念ながら3年生部員がいなかったので、昨年度卒業生の大学進学祝い、そして私自身の追い出し、ということになった。3月末としては異例の寒波襲来とかで、風こそ弱かったものの、気温は低く雪が舞い、視界は50メートル程度というあいにくのコンディションだったが、ほぼ予定通りのコースで、山頂にも立ち、山中の温泉にも入って、一同はなはだご機嫌のうちに無事下山した。

 ところで、登頂を果たした後、私達が矢筈森を経由して峰の辻まで下りてくると、そこには十個ほどのザックが置いてあった。峰の辻に荷物を置いて、山頂を往復しようというものらしい。矢筈森を経由せずにまっすぐ山頂に向ったため、私達とはすれ違わなかったと見える。ふと、置いてあるザックにゼッケンが貼ってあるのが目に止まった。よく見ると、「石巻高」とある。私達が「くろがね小屋」に着いて約1時間後、彼らはやって来た。この夜、「くろがね小屋」に泊っていたのは、石巻高校ワンゲル部と我が仙台一高山岳部の計16名だけであった。

 何ということだろう。山岳部のない学校に転勤する私の最後の山行で、私が延べ15年間にわたって顧問を務めた二つの学校が、全く偶然に、しかも貸し切り状態で泊り合わせるとは・・・!。あまりにも出来すぎた話だとは思うが、神様の計らいも粋なものだ、と感じ入った。

 もっとも、石巻高校の生徒諸君は、既に私が以前の顧問であることも知らず、いや、仮に知っていても「だからどうしたの?」といった風情で、顧問同士が多少の四方山話をしただけだった。おそらく、一高でもごく近い将来、同様に私は忘れ去られることであろう。自分の存在の軽さに少しは切ない気分になるが、その後の山岳部がどうなろうとも、私が担当していた時代があって次があることには変わりがない。人間が「忘れる」ことが出来なくなり、全てを記憶していたら大変なことになるように、全ての人とその事跡が記憶に留められたのでは、世の中うっとうしくて仕方がない。人の存在が、人々の記憶からは消えてゆき、その仕事が、意識されることなく、何かしらの形で受け継がれていく。それが世の中というものであり、それでいいのだと思う。