被災地の小学校の春



 春というのは美しい季節だ。歳を取るにつれてそう思う。だが、閉口するのは風の強さだ。天気図を見ると、穏やかな天気になりそうでも、なぜか1ヶ月くらい、ひたすら強い西風が吹き続ける。自転車通勤を始めたおかげで、今年はこの西風が本当にこたえる。なにしろ、帰宅する時は正に向かい風なのだ。これだけ直に自然を感じられるのは幸せなことだ、と思うことにはしているのだけれど・・・。

 通勤の途上、ランドセルを背負った子どもの姿を見ることが多くなった。自転車にしたから、というのではない。津波で校舎が使えなくなっていた渡波小、湊小が、校舎の改修工事を終えて、元の場所で復旧したのだ。加えて、湊中学校も4月から元の校舎に戻ると聞いていたのだが、なぜか、学校の脇に大型バスがたくさん停まっているのを目にする。工事が新学期に間に合わず、まだ中里小学校の校庭にある仮設校舎に通っているのだろうか?子どもが歩いて、道草を食いながら学校に通う姿はいいなぁ、と思う。

 そういえば、何かと話題になることが多い門脇小学校は、3月27日の教育委員会定例会で、平成27年度からの石巻小学校との統合が決まった。それに先立ち、3月6日、保護者や地域住民向けの説明会が開かれたが、さすがに、熱狂的な門小ファンの母親からも、以前のような「統合反対!!」のヒステリックな叫びは聞こえず、いくつかの質問や要望は出たものの、1時間ほどで閉会となった。門小の現状や、アンケートの結果を前に、遂に「降参」ということなのだろう。

 なにしろ、石巻で最も古く、40年ほど前までは、生徒数が各学年5学級、全校で1000人を超えていたという門小も、なんと、今春の新入生はたったの3名(!)である。2〜3日前の『石巻かほく』に、大須小学校(旧雄勝町東端)の入学式の記事があり、新入生はやはり3人だったから、石巻の中心部にある伝統校が、最も僻地にある学校と同じになってしまったわけだ。津波で学区の3分の2が流失し、被災した人々は、郊外にある仮設住宅から子どもを元の学校に通わせていたものの、兄・姉の卒業を機に、下の子を転校させるという現象が相次いだ。もちろん、更に下の子を門小に通わせようとするわけがない。その結果の「3人」である。市のシミュレーションによれば、このままいくと、門脇地区に建設される災害公営住宅に人が入ったとしても、平成28年度には、2年生と3年生を複式学級とせざるを得ず、平成35年度には全校生徒数が34人となり、次の段階には全学年が複式学級になる可能性すらある、という。

 統合後の学校名は、「石巻小学校」である。私には何の抵抗もないけれど、これはよくないかも知れない。これでは統合ではなく、やはり門小の廃校、石小への生徒吸収である。名前を変えるくらいの配慮はあってもよい。凝った名前にする必要などない。「石巻中央小学校」で十分だ。

 進学先の中学校が違っていた二つの小学校が統合されれば、中学校もいじらざるを得なくなる。市は早々に、近隣の中学校・小学校を対象として、学区の再編を検討し始めるそうである。

 津波少子化によって、どの学校も気息奄々。一体どの程度が教育上の適正規模なのかは分からないが、やはり学校規模が小さすぎるのはよくないだろう(市は各学年2学級を適正規模と考えるらしいが、これが教育的配慮に基づくのか、コストパフォーマンスを考えた結果なのか、説明ではよく分からなかった)。経済効率も全然考えなくてよい問題ではない。だが、通学バスを用意しなければ通えない、という状況もまずい。渡波や湊の小学生を見ながら、石蹴りをしたり、道端で座り込んで話をしたり・・・そんな通学によって育まれる思想や感性も貴重だろうと思う。


(補)3月6日の説明会で聞いた話。小学校で、4キロまでは徒歩通学圏と見なし、通学距離がそれを超える子どもについては、通学バスの運行などの措置を市が取るそうだ。私は、子どもに少しくらいは無理を強いた方がよい、という立場だが、それでも、小学生に片道4キロ歩いて通わせるのはなかなか酷なような気がする。道草せずに小一時間かかるだろう。夏場ならよいが、日が短い時期は危険でさえある。なかなか難しい。