コンクールを「読む」楽しさ

 今年の日本音楽コンクール(第86回)が、先月の末に終わった。このコンクールは面白い。聴きに行ってもいない私がこんなことを言うのは、コンクールの終了後、審査結果が他のコンクールにはないほど詳細に、一般紙(毎日新聞)で公開されるからである。それを見ながら、いろいろと思いを巡らせるのが楽しいのである。『蜜蜂と遠雷』(恩田陸著。2016年、幻冬舎。第156回直木賞受賞作)に描かれたコンクールのドラマも面白いが、しょせんはフィクションである。生のデータには、小説にはない生々しさと、深読みの楽しさがある。今年は11月21日の朝刊に載った。
 そこで紹介されている審査結果というのは、各部門の本選出場者(1〜3位+入選1〜3名)について、9人の審査員(実名あり)が何点を付けたかというものである。それらの表をここにそのまま載せずに、その結果について語るというのは難しいのだが、あくまでも、私はこんな見方をしていますよ、というだけなのでご辛抱願いたい。

 例えば、今年最も波乱が少なかったのはヴァイオリン部門であると見える。9人の審査員のうち過半となる5人の採点が、最終順位と一致しているからだ。
 一方、最も荒れたのはホルン部門であろう。9人の審査員が誰に最高点を付けたかを見てみると、1位になった濱地さんに最高点を与えたのが5人、2位になった庄司さんが3人、3位になった根本さんは1人なのに、4位(入選)の信末さんには4人である(笠松審査員は1〜3位の3人に、吉永審査員は1〜2位の2人に同じ点数を付けていて、これを重複してカウントすることになるので、合計が13人となる)。つまり、4位の信末さんはある意味で2位の庄司さんよりも高評価を得ているわけだ。山本審査員、西條審査員が信末さんに辛い点数を付けたために、総合点で4位になったのである。
 解説を読むと、5位で入選した柳谷さんも含めて、信末さん以外の4人はコンクール常連で、大学3年の信末さんだけが新顔だった。5人全てが、「審査員団も目を見張るような素晴らしい技術力を遺憾なく発揮した」そうであるが、信末さんは「楽曲の完成度と、何より経験不足で差がついてしまった」結果として、4位に甘んじたらしい。しかし、この結果を見ると、聴いてみたくなるのは信末さんである。「審査員団も目を見張るような素晴らしい技術力を遺憾なく発揮した」にもかかわらず露呈してしまった経験不足って、いったい何だろう?
 同様に評価が分かれたのは作曲部門である。1位となった久保さんに最高点を付けた審査員が3人しかいなかったのに対して、2位となった向井さんに最高点を付けた審査員は4人いる。しかもそのうちの一人は満点(25点)を付けている。一方で、10点台半ばという非常に低い点数を付けた審査員も3人いる。久保さんに10点台を付けた審査員はおらず、その違いが順位に表れたわけだが、向井さんの作品というのは、好きな人には非常に好き、嫌いな人には非常に嫌いな、つまりは個性的な作品なのだろう。歴史の中で生き残る可能性もよりいっそう高いはずだ。となれば、これもまた優勝作品以上に聴いてみたくなるではないか。
 声楽部門も別な意味で厳しい闘いだったと思われる。9人の審査員全員が、最終的に1位になった鈴木さんと2位になった横山さんのどちらかに最高点を与えているから、この二人が1位、2位を獲得するにふさわしかったことは間違いないだろう。しかし、3人の審査員の点数が、入選までの6人についてわずか3点差の範囲に収まっているのだ。これは、上位2人がいかに優れていたにしても、他の4人も含めて、非常に差の小さい、ハイレベルな争いであったことをよく物語っているだろう。
 ピアノ部門はまた別な意味で面白い。9人中4人が、最終順位の順に点数を与えているから、ヴァイオリンほどではないにしても、まず順当に審査は出来たと思われる。しかし、その中にあって江沢審査員だけが、順位と逆順の評価をしているのである。つまり、ピアノの本選出場者は4人しかいないのだが、江沢審査員の1位は入選と3位の二人、2位は2位、3位は1位ということだ。もちろん、だから江沢聖子なるピアニストは審査員として問題がある、というものではない。思想や感性が他の審査員と微妙に違っているのだろう。私は、この人の演奏を聴いたことがないけれど、もしかするとそれも面白いかも知れない。

 専門家が慎重に審査をして点数を出したにもかかわらず、その点数というのはこれほど一致しないものなのか、とは毎年感じることだ。が、それほど音楽を評価するのは難しいということであり、答えがないということである。各自が各自の感性に素直に従って聴き、楽しめればそれでよい。お前はお前の聴き方で十分よいのだよ。審査結果は、そう言ってくれているようにも感じる。