東京五輪のボランティア

 どこでだったか、1週間ほど前に東京オリンピックのボランティア募集が難航しそうだ、という報道に接した。と思っていたら、先週土曜日の朝日新聞土曜版「be」に、「ボランティアは無償であるべきか?」というアンケート記事が出て、その解説に、東京オリンピックのボランティアについての批判めいた意見があれこれと載っていた。
 なるほど、「18歳以上」「のべ10日間以上」「指定研修に全て参加」「1日1回の飲食は支給するが、他は全て自己負担」といった条件はなかなかに厳しい。しかも、外国語、車の運転といったそれなりの技能や責任が求められる仕事も多いようだ。どんな環境下で仕事をするのかは知らないが、なにしろ真夏の東京である。相当に過酷なボランティアになるだろう。これを11万人も集める!?ちょっと私には想像がつかない。さすがにまずいと思ったのか、「be」と同じ土曜日の新聞本体に、1日数百円から千円程度の交通費を交通系のカードなどで支給するという話も載っていたが、果たしてそれがどの程度の負担軽減になることか・・・?
 私は、最初に話を聞いた瞬間から、ふざけた話だと思っていた。そもそも、政府や東京都がどうして必死にになって東京にオリンピックを招致したかといえば、基本的にそれが儲かるからである。近年はオリンピックも巨大化が進みすぎ、負担が大きいので開催に名乗りを上げる都市も減ってきたとはいうものの、東京に関しては間違いなく、経済効果に目がくらんで欲目満々の立候補だったと思う。
 オリンピックを開催すれば、それで大もうけをする人間がいるはずである。その一方で、なぜボランティアを大量に動員しなければならないのか?ボランティアという無償の行為を美化し、善意を利用して人をこき使っておいて、儲ける人たちがその儲けを最大限に出来るようにしているだけではないか?オリンピックで儲ける人たちにボランティアの「雇用」を義務づける、もしくは組織委員会が要員を雇用するために、今のスポンサー料以上の拠出を求めればいいのだ。
 東京都や政府だって、オリンピックを招致して、いかにも明るく景気がいい雰囲気を演出して自分たちの人気取りをし、ゼネコンが作る国立競技場の建設に千数百億円をも出そうとしておきながら、期間中の運営については「ボランティア」というのは身勝手に過ぎる。最初から、運営要員の手当も含めて予算措置を講ずる覚悟をしておかないのは、招致者として無責任である(有権者の責任)。
 解決方法は簡単だ。変な口車に乗ることなく、みんなが応募しなければいいのだ。応募者が極端に少なく、いよいよ運営が成り立たないということになれば、政府も東京都もその時始めて「いかさま」に頼らず、健全な、もしくは人道的な運営方法を考え始めるだろう。
 それでも恐ろしいのは中高生ボランティアである。部活動と一緒。東京オリンピックにボランティアとして参加したことが、AO入試でのセールスポイントになるとか、内申書の記載事項になるとかいうことになった場合、利害打算に基づいて応募する学生がいたり、最悪は、実質的に強制となる可能性がないとも限らない。
 加計学園森友学園の問題は、決して小さな問題ではない。それを巡って繰り広げられた虚偽答弁や文書改ざんなどの関係者は、政治家や官僚以前に、人間として信頼に値しない。人間として信頼に値しない人間は、口先でどんないいことを言っていても、すること為すことの全てが不実なものとなるはずだ。特定機密保護法、集団的自衛権問題、労働関係法規の改正(働き方改革)など、全て怪しげではないか。オリンピックもまた然り。ボランティアの問題は彼らの不実をよく表しているだろう。