「震災遺構」と「水産教育」についての作文



 『石巻百景』というホームページがある( http://ishinomaki-photo.blogspot.jp/ )。最近はけっこう有名になっているらしく、『石巻かほく』という新聞でも、毎週日曜日にこのHP運営者による石巻紹介記事が連載されている。私がどういう縁で知り合ったのかよく覚えていないのだが、最近このHPから依頼があって「震災遺構の保存について」短い意見文を書いた。昨日か一昨日からこの記事が公になっているので、ここでも公開しておくことにする。ただし、このブログを丁寧に読んで下さっている方には目新しい内容のない記事である。なお、この記事の見出しは「【意見特集】震災遺構の保存について、石巻のブロガーなど3名はこう考える」となっている。「など」とあるので、「ブロガー」が私を含むのかどうかはよく分からないが、含んでいるとしたらなんだかむずかゆい気分だ。


「門脇小学校など、震災後、その遺構を保存しようという声を多く耳にする。実は、震災後だけではない。くりはら田園鉄道など、最近は、役割を終えた物を残そうという傾向が非常に強いと思う。何かにつけて記念碑や博物館を作りたがる傾向も同様だ。観光資源としての思惑もあってだろうが、こんな調子で記念の品を残していけば、今後2〜300年の内に、世の中は記念の建物や石碑だらけになるのではないかと心配だ。

 古い物を大切に使うことは大事だが、木から落ちた葉っぱや、死んだ生き物がそうであるように、役割を終えたものは、きれいさっぱり無くなるのがよい、と私は思っている。生き物には、そういう潔さが必要だ。保存すれば、後の世代が、その維持管理に膨大なエネルギーを費やさなければならなくなることも、覚悟しておく必要がある。

 震災の遺構は別だ、後世に教訓を伝えるという新たな役割を持つのだ、と言うかも知れない。だが、そもそも私は、教訓を伝えるということに懐疑的だ。昔の人々にも、自然災害や戦争などの切実な体験をし、何とか後世にその教訓を伝えようと思ったことがたくさんあったはずだ。しかし、いま津波の教訓を声高に訴える人が、どれほど真剣に、そんな先人の思いを改めて受け継ごうと思い、過去に目を向けることをしているだろうか? 自分の教訓を伝えようとするだけで、人の教訓には無頓着なのではないか? 過去から何かを学ぼうという意識がなければ、震災遺構などあっても恐らくたいした役には立たないし、そんな意識があれば、文字だけでも十分に教訓は受け継ぐことができる。まして、今は豊富な映像を残すこともできるのである。」


 この他に、最近のものとしては、日本海難防止協会編『海と安全』2013年夏号(6月15日発行)に、「私が見た水産高校の現状と課題」というちょっと長い作文が載った。『石巻百景』のものと比べてもよくできた文章には思われないので、ここには載せない。

日本海難防止協会のHPから読むことは可能( http://nikkaibo.or.jp/pdf/557_2013.pdf )。