教訓考・・・全日海と教職員組合



 7月1日の6校時、LHRの時間に3学年対象の「進路懇談会」というイベントが行われた。大学や専門学校、企業の方々が来校し、卒業後の進路を検討中の3年生に、それぞれの分野のことを話して下さる、という企画である。私は、水産高校にいながら、今まで出席したことのなかった「船舶関係」という部屋に行った。

 最初に内航貨物船職員の仕事と生活についてのDVDを見た後、3名の講師のお話を聞く。いくら宣伝とは言え、DVDもお話も面白いものだな、と思ったが、むしろ私が驚いたのは、講師の1人として全日本海員組合(全日海)の職員が来ていたことである。その職員は、労働組合の立場から、船員の待遇がどうやって決まるかに触れた上で、船員の仕事についても語った。

 これは『それゆけ、水産高校!』にも書いたことだが、全日海が出している『OCEAN GATE』という冊子は、宮水の教室にも配られている。全教や日教組といった教職員組合が作った冊子が教室に配られるなどあり得ないし、学校の教員がどのような仕事かを説明する場で、教職員組合の役員が語るということも考えられない。水産高校内で全日海が公然と生徒の面前に現れることについて、最初は、産業と授業が密接に関連しているからだろうと思っていたが、よく考えてみれば、教育大学なら、学校教育という職業現場と大学の授業は密接に関連していて、それでも教職員組合が登場するなど想像さえ出来ないわけだから、理由は違う所にあるのではないか、と思うようになった。

 では、一体なぜだろう?と思い巡らせて、思い浮かぶのは、やはり「イデオロギー性」以外にはあり得ない、ということである。教育現場は、教育を意のままに動かし、自分たちの権力基盤を構造的に盤石なものにしようと企む権力者の圧力を常に感じていなければならない場所である。荷物を運んだり魚を獲ったりという船員の業務に、イデオロギー性が入り込んでくる可能性は極めて低い。

 思えば、戦後日本の教育というのは、戦時中、学校が政府や軍の宣伝塔になったことへの痛切な後悔(反省)の念から出発した。それを端的に表すのが、「教え子を戦場に送るな」というスローガンである。後に、他国に侵略された時に日本を守ることも拒否するのか?愛国心を否定し、軟弱で自分勝手な日本人を育てようというのか?などという批判もされるようになったと聞いたことはあるが、このスローガンが生まれた時、多くの教職員の頭の中に浮かんだのは、終わったばかりの太平洋戦争という悲劇だったのであって、戦争の種類や性質を考え、場合分けをするといった理屈っぽい意識が入り込んでくることはなかったはずである。日本人のほとんど知らなかった「民主主義」に対する憧れや、それを手に入れつつある新鮮な喜びとともに、戦後の学校教職員は主権者教育を開始しようとしていた。

 ところが、当然のこと、権力者はそれを快くは思っていなかったようだ。私が見た所、戦後の教育運動は、何とかして健全な民主主義を根付かせ、個人の自由と平等とに立脚する平和と繁栄とを手に入れようという教職員に対して、実権を自分たちの側に取り戻し、教員を意のままに使って権力者の意図する日本を作り上げようという勢力が襲いかかるという図式を取っていたように思われる。あらゆる手段を用いて、民主主義を形骸化させ、上意下達のシステムを確立させようとする権力に対して、教職員は相当なレベルまで食い下がっていた。それが少しずつ切り崩され、同時に戦争の体験が遠ざかり生活が豊かになるにつれて、教員側の切実さも薄れてきて、対立の構図は活力を失ってきた。とどめを刺したのは、1990年頃に「最終的解決」を見た「日の丸・君が代」問題である。法律まで作って、全ての学校でこの旗と歌とを入学式・卒業式場に持ち込むことを強行してから、学校では「言っても無駄」というあきらめに満たされて議論の火が消え、「ホウレンソウ(上位者への報告・連絡・相談)」という草がはびこり、多忙化が急加速し、組合が弱体化した。超過勤務は野放しなのに、極めて常識的なレベルの組合活動も、公務員としての「服務」に反するかのような扱いを受け、いつの間にか、まるで活動そのものが悪であるかのような状況が生まれた。権力は、「服務」を口実として、自分たちの意に沿わない組合を弾圧をしたように見える。そして今や教職員組合は、ほとんど地下活動に近い。

 昨今のこのような状況についての第一の責任は反動的な当局にあるが、平和ボケ、豊かさボケをして常に原点を確かめながら強い姿勢を維持するという作業のできなかった私たち教職員の側にも大きな非がある。学校の教員という、いわば知識人でさえ、自分が体験しなかったことから教訓を受け継ぐことは難しいのである。津波の教訓を叫ぶ人たちの何割かがそんな過去の教訓に目を向けてくれたら、世の中はこれほど窮屈にならなかっただろうに、と思う。

 私は、今の学校は、もはや終戦直後の出発点よりも前の時点に戻ったと思っているのだが、安倍政権は、それでも満足できないらしく、更に教職員の締め付けを強化しようとしている。この先にどのような日本が待っているのか。何か大変なことが起こってから、人々は再びもっともらしく「教訓」を叫び始めるのだろう。(→7月7日に続く)