二の舞を恐れる



 安全保障を巡る最近の国会を見ていると、ひとつおぞましい記憶が蘇ってくる。それは、高校に日の丸・君が代が持ち込まれた時の記憶だ。

 私は、新採用の時から2校続けて、宮城県内で最も遅くまで日の丸君が代を入学式・卒業式で実施していなかった学校で勤務した。そのおかげで、それらがどのようにして式に持ち込まれるようになり、その結果、何が起こったかという一部始終をつぶさに目にすることになった。そして、日の丸君が代問題の本質を、骨身に染みて知ることになったのである。

 日の丸君が代に関する職員会議はエンドレスだった。午後8時で一旦終了したとしても、また別な日に続きが設定された。職員の中から、それらを式に持ち込むことについて「賛成」「やむなし」とする意見が一切出なくても、「お願いします」を繰り返す校長と、反対意見を述べる職員との平行線が延々と続くのである。ある同僚が、これはフェアでない野球の試合だ、と言っていた。管理職チームが勝っていれば9回で試合終了、だが、職員チームが勝っていたら、管理職チームが勝ち越すまで延長戦、というわけだ。なかなか上手いことを言う、と感心したので、20年近く憶えている。

 それでも、その学校でエンドレスの職員会議が成立したのは、気骨のある年配教員がたくさんいて、校長が強引に理不尽なことをしたら、みんなでそっぽを向き、学校が成り立たない状況を作っていたからである。今の教員に、そんな反骨心や実力行使の気概は残っていない。もちろん、政権側から見れば、当時(戦後?)の教職員は偏向していた、それが文科省教育委員会の努力によって今や正常化した、ということになる。

 そのように大変な思いをして、国家権力の象徴たる日の丸君が代を阻止しきれず、最後には校長が「私の責任でやらせていただきます」みたいなことを言って、式場にそれらが持ち込まれると、それを巡って費やした時間とエネルギーが大きく、反対意見が圧倒的に強かっただけに、教職員の心の中には巨大な徒労感と喪失感とが生じてしまった。得たものは何もなく、権力は学校の上に君臨したのである。

 現在、高名な学者も含めて、新しい安全保障法制に対する違憲論は圧倒的である。首相や自民党内部の危険な体質も、ほとんど露わと言ってよい状態になっている。しかし、与党は95日間という異例の国会会期延長を決めた。既にアメリカに対して公言した手前、最後は数の力で押し切るしかない。正に、与党が勝っている時だけ終了するという、アンフェアな野球の試合であり、「私の責任でやらせていただきます」である。

 言っても無駄。次の選挙で与党の議席を大きく減らすことによってこそ、雪辱するしかない。ところが、おそらく、そうは上手くいかないのだな。民意のレベルが低い、という問題ではとりあえずない。日の丸君が代の教訓を応用するなら、反対運動が盛り上がったところで強引にそれを否定すると、人間は何をする意欲も低下する。だから、与党が数の力で新安全保障法案を可決させた時、さあ、選挙で決着を付けよう、と意欲的に立ち上がったりはせず、選挙で頑張る意欲さえ失っている可能性が高いような気がする。

 もちろん、私はそうなることを望んでいるわけではない。そうならないようにするのが第一だ。だが、歴史の教訓に照らして、心の準備をしていること、その上で、その対策さえも考えておくことは大切だろう。大津波でも、テロでも、起こるはずのないこと、決して起こって欲しくないことが、実際には起こり得る(←有事についての自民党の言い分だな・・・笑)。その認識は、持っていると持っていないとで、起こった時の対応に大きな違いをもたらすはずだ。それができてこそ、ほんの少しだけではあるが、日の丸君が代の教訓が生かされ、救いを感じることができるのである。