小澤征爾の留年



(1月16日付け学級通信より・・・その1)


 先週は、年の初めであることにちなんだことを書いたので、飛ばしてしまったが、今月は昔の呼び方で「睦月」である。年の初めに当たって、親族が一堂に集まり、睦まじく(=仲良く)過ごす機会が多い月だから、というのが有力説だ。この世では、戦争に代表される人と人との傷付け合いが、いつになっても絶えることがない。その様子を見るにつけ、幸せというのは、人と人とが仲良くすること以外にはない、と思わされる。睦まじいことがよいのは、親族だけの問題でも、1月という年始だけの話でもない。ともかく、仲良く、楽しく、日々暮らせますように。


【年頭からぷんぷん・・・追指導のこと】

 職員室では追指導に関する先生方のグチ(?)を聴くことが多い。年度末の反省会議でも、話題は追指導だ。もちろん、せっかく追指導の手を差し伸べても、放棄、もしくは真面目に取り組まない生徒が多いという実態に基づいている。

 E3でも、追指導願いを提出しない生徒がたくさんいたことについて、12月に一度説教を垂れたことがある。結局のところ、赤点を抱えていた15人のうち、追指導願いを提出してスタートラインに立ったのが5名で、追指導を受けて合格点をもらったのは1名1科目だけだ。びっくり!!!!

 多くの人に支えられて学ぶ場が与えられていることの、幸せと責任とをどう考えているのやら・・・。

 そう言えば、火曜日の朝、私が学校に来る途中で、校外でゴミ拾いに励む1年生諸君の姿が見えた。先頭を歩いていたのがM先生だったので、てっきりラグビー部だと思い、「偉いねぇ」と言ったら、実は、追指導願いも出さずに指導をボイコットした生徒達のペナルティだという。M先生は、そんなぐうたらな生徒達が、高い率で朝のゴミ拾いに参加したことを、しきりと感心していた(笑)。

 一方、私は、この寒い時期に、早朝ゴミ拾いに参加するくらいの元気があるなら、追指導くらいちゃんと受けた方が楽だろう、と言いたくなった。いや、これは頭を使うよりも体を使う方がいい、という宮水生の性質を表しているのかも知れない。しかし、ゴミ拾いにいくら真面目に参加しても、点数が上がるわけではない。やはり、ことは「やりたい」「やりたくない」ではなく、「やらなければならない」かどうかで考えなければならない、と思う。

(余談)

今、『日本経済新聞』の「私の履歴書」というコーナー(以前、このプリントの裏に利根川進氏のものを印刷したことがある)に、元ウィーン国立歌劇場音楽監督小澤征爾氏の自伝が連載されている。1月9日、その第8回を読んでいて、私はびっくりしてしまった。彼は、高校時代、卒業式に出席したところ、呼名されないことによって、自分が単位不足で留年したことを初めて知ったらしい。式場には着物を着たお母さんも来ていたが、泣きながら帰って行った、という。1950年代半ばの話である。もちろん、今は留年ともなれば、事前に保護者にも来てもらい、理由も含めて親切丁寧な説明が行われる。別に諸君を脅かすための話ではない。ただ、そういうことが許されていた当時というのは、なんだかおおらか、吞気でいいな、と少し感心したので、書いてみた、正に「余談」である。