『奇跡のリンゴ』・・・自然と人間の利害は一致するか?



 そういえば、冬休み中に『奇跡のリンゴ〜「絶対不可能」を覆した農家・木村秋則の記録』(石川拓治著、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」制作班監修、幻冬舎、2008年)という本を読んだ。日本中のリンゴが農薬漬けの状態で育てられていることに疑問を感じた青森県のリンゴ農家・木村さんが、壮絶な(正に壮絶な)苦闘の末、遂に無農薬でのリンゴ作りに成功する、その過程をたどった本である。私のような、文明に対していささかの反感や疑問を持つ人間にとって、正に胸のすくような感動のドラマである。本の中で描かれる木村さんの人柄も、非常に魅力的だ。

 しかし、一読した直後こそそう思っていたものの、半月近い時間が経つと、なんだか変だぞ、という気になってくる。まずは前提・・・。

 人間は、大昔からリンゴと付き合ってきたが、農薬というものが発明されてから、虫に弱くてもいいから美味しさと美しさを持つリンゴを作ろうと、品種改良が行われるようになった。その結果、正に農薬漬けと言っていいほど農薬を使って、リンゴは作られるようになった。

 この現代リンゴ事情を知った上で木村さんの仕事を見て、ふと感じる疑問は、現代種のリンゴが農薬に支えられていたとすれば、木村さんが現代種のリンゴで無農薬を目指したのは、少し筋違いなのではないか、ということである。無農薬で作るなら、古代種のリンゴで行うか、現代種を徐々に古代種型へと逆改良していくべきなのだ。

 だが、木村さんは、最終的に現代種のリンゴの木を使って、無農薬栽培に成功する。そして、そのリンゴはとてつもなく美味で、切った状態で2年置いておいても腐らないという魔法のリンゴとなった。

 農薬を使わず、自然に任せて木を育てることが、自然にとって心地よいことであることは、納得できる。だが、自然として心地よい状態で育ったリンゴの木に、人間にとって美味しい実がなるかどうかは、また別問題なのではないだろうか?それは、野生動物が好むものを、必ずしも人間が好むとは限らないことから明らかである。だとすれば、農薬があるという前提で品種改良された現代種のリンゴを、本来の成長条件を取り外すという荒技で成長させ、しかもそれが結果として人間の好みに合致したというのは、まったくの偶然なのではないだろうか?この偶然が起こったことが「奇跡」であるならば、彼が作ったリンゴは、確かに「奇跡のリンゴ」である。「奇跡」は無農薬についてでも、美味しいということについてでもない。

 この本の中には、非常に奥深い洞察、含蓄に満ちた哲学がたくさん含まれている。それだけに、もしも、木村秋則さんの業績をもっと徹底的に追い、検証・評価した方が値打ちが出ると思う。特に重要なのは、農薬を使わないことと人間にとって美味しいリンゴができることとの関係、更に一般化させて、自然の利害と人間の利害は一致するのかどうか、という点についての考察である。それが行われなければ、木村さんの仕事は「偶然」に支えられた感傷的な美談に過ぎないし、それが行われ、両者に因果関係、相関関係があることを証明できれば、この本は農業の枠を超えて、更に大きな力を持つことになるはずだ。