「文化」についての種明かし

(2月25日付「学年主任だより№36」より②)

 

【復習:「最後の学年集会」で話したこと】

 1・2年生の考査との関係で、副担の先生にほとんど参加してもらえなかったのは残念だった。一方、参加できた先生方は、それぞれいいお話をしてくれたと思う。私にとっても印象的だった言葉がいくつもあった。心に刻んで欲しい。
 それらをここに全て書くことはできないし、これは一応「学年主任だより」なので、私が何を話したかだけ復習しておくことにする(スペースの都合で箇条書き風)。

 「諸君が概ね品行方正で行儀も良かったおかげで、350人という大所帯であるにもかかわらず、最少限のストレスで3年間を過ごすことが出来た。当たり前のこととは言え、出来ない高校生も多い。あえて諸君にお礼を言いたい。ありがとう。
 さて、今は世界史上奇跡のように平和で豊かな時代である。いい状態を維持することは難しく、落ちていくのは簡単という法則が存在する。
 地球環境の悪化も切迫しているにもかかわらず、世の中には危機感がまるで無い。したがって、諸君の将来が非常に厳しい時代になることは間違いない。
 困難を乗り越えるために常に必要となるのは、基本(原点)だ。それぞれの分野について基本は存在するが、生き方の基本は『論語』に全て書いてある。
 今日は、今までに話す機会がなかったことから、「文化」について少しお話をする。
 文化とは、芸術やスポーツだけではない。人間が後天的に獲得した能力と、それによって生み出されたものの全てを意味する。
 それを確認し理解するためには、農業を考えてみるとよい。農業を英語でagricultureと言うが、これは「culture=文化」という言葉に「agri=畑」という言葉がくっついたものだからだ。
 小さな種から立派なリンゴが採れるようになる。いいリンゴを作るために必要なのは、「いい種」「いい環境」「農民の労力」だ。このうち、種と環境は、一度植えてしまうと変えられない。変えられないことは考えても仕方がないので考えない。すると、リンゴの質は農民の労力に比例するということになる。
 リンゴを文化だとすると、「文化の質は費やした労力に比例する」という法則が導ける。
 実際、誰でも何かしらの素質(才能)を持っている。欲しいと思う素質を持っているとは限らないし、まだ眠っていて存在に気付けていない素質もあるかも知れないが、いずれにしても素質は変えられない。生まれ育つ環境を変えることも難しい。しかし、費やす労力を増やすことは可能だ。
 商業主義の世の中で、「便利ですよ」「楽にできますよ」という宣伝があふれている。
 しかし、便利で楽なものに頼れば、その程度の能力しか身に付かないということは観念すべきだ。価値あるものを身に付けるためには、絶対に労力を費やす(=努力する)ことが必要で、逆に言えば、労力さえ費やせば、それに見合った価値が手に入る。
 困難な時代を生きていく諸君は、そうして生き抜く能力を身に付けなければならない。これが、3年間の最後に諸君に語るべき「基本」である。」

(実は「文化の質はかけた労力(手間暇)に比例する」という言葉は、このプリントに、1年次以来何度も登場する。今回初めて、というわけではない。2019年9月5日付「学年だより№17」では、この言葉について「そのうち詳しく解説して進ぜる」と書いたが、その後、「詳しく」は話すことも書くこともないまま今に至った。私が「最後のお話」として「文化」に触れたことには、そんな背景がある。以上、種明かし。)