顔を見る「文化」

(3月30日付け「学年だより№86」より②)


【年度末・年度始めに関して】

(4月当初の予定は省略)

 先週末、某先生から「平居先生、30日に『学年だより』出すんだったら、教科書購入が31日までだっていうこと書いておいて下さいよ」と言われた。私は「はいはい」と引き受けたものの、数分後には、「書かない方がいいな」と思うようになっていた。教科書購入については、既に24日に詳細なるプリントが配布され、期間もそこにはっきり書いてある。にもかかわらず、更に担任がHRで言い、「学年だより」に書き、それでも足りずとメール配信などということになれば、わざわざ諸君が「ぼんやりと受け身」な人間になるように仕向けているようなものではないか。
 自分がいつまでに何をすべきか、人は常にそんな情報を自分で管理し、それに合わせて動くことができなければならない。諸君がそんな能力を身につけるためには、プリント1枚でできなかった時に「バカ者!!」と一喝する。親切にするよりも、おそらくその方がいい。

 

(裏面:2月7日付け朝日新聞日曜版「Globe」より、「顔の見方に文化差 マスクは子の発達に懸念も」(中央大学教授・山口真美氏筆)を貼り付け。
平居コメント:マスクで顔を半分以上覆うというのは、現時点ではやむを得ないことなのだが、長期化するとデメリットの方が大きくなるだろう、とは、昨春の時点で既に私も予告していたことである(№52裏面参照→こちら)。なるほど科学的に考察するとこういうことなのか、と少し驚きつつ納得した記事。
 平安時代の美人と今の美人が異なるというのは、おそらく諸君も知っている有名な話だが、それは単に「美とは何か?」ということだけではなく、そもそも顔のどこに注目するかということが違うのだろう。
 目があって物があれば、見えている物は同じと思いがちだが、物の見方は全て後天的に身につける「文化」だということなのだな。もちろんこれは、「顔」だけではなく、あらゆるものについて言えることであるはずだ。)