私の責任、生徒の責任

 いつも大きな新聞記事を貼り付ける裏面には、今回「天声人語」1回分だけを貼り付け、残りのスペースは、以下の平居講話を(ここだけ手書きではなく)ワープロ打ちしたものだった。それで、今回(№73)は妙に長い。

(12月16日付け「学年だより№73」より④)


重要【復習 普通科2学年集会でのお話】

 普通科2学年集会から1週間が経った。普通科の諸君がどれだけ理解できたか、憶えているかもよく分からないし、ビジネス科の諸君にも知っていてほしいので、その時話したことを、多少手を加えながら書き起こしておくことにする。 

「4年前、塩高に来た時、当時の校長から「この学校にはヤンキーも、スカートが短い女の子もいません」と言われた。塩高での生活を始めてみて、さすがにそれは極端だと思ったが、確かに、穏やかで行儀のいい生徒が圧倒的に多い「よき日本人の学校」で、気持ちよく過ごしてきた。
 ところが、この1~2ヶ月、少し変なことが次々と起きる。必ずしも2学年の話だけではないが、他学年の話だとしても、2学年には無縁、絶対に起こらないとは思えないので、その他の問題も含め、まとめて話をさせてもらうことにした。
 最初に衝撃を受けたのは、東Cでのベランダからのガムのポイ捨てだ。これはレベルが低すぎる。いじめの噂も耳にした。思いやりの心を持ってほしい。
 盗難があった。盗難は嫌だ。犯人が見えないという意味で、暴力よりもよほどたちが悪い。起きてしまうと、犯人を見つけるのは非常に難しいが、今後、被害に遭わないように守ることはできる。貴重品は各自がロッカーで管理することだ。それを徹底させてほしい。
 欠席をできるだけしないで欲しい。出席率は、自己管理能力の表れである。また、欠席の少ないクラスは、なんとなくではあるが、雰囲気がいい。今年は、新型コロナウィルス感染防止ということもあって、無理をして登校されても困るという事情はあるが、できる限り出席することはやはり大切だ。登校時間もだ。以前は、ほとんどの生徒が5分前までに登校していたのに、今はそうではない。9月以来そのことを言い続けているが、なかなか変化がない。遅刻する生徒がいないのは立派なものだが、5分前に教室に入り、みんなが本やノートを机に広げて静かに勉強していると、雰囲気が落ち着き、明らかに勉強する環境になる。私たちとしても、5分前に教室に行く努力をする。一昨日、学年の先生方でそんな合意をした。
 挨拶は大切だ。昨年の「学年だより№3」裏面に、「新社会人に望みたいこと」というアンケート記事を印刷した。それによれば、断トツの1位は「挨拶をする」だった。あまり意味のない1語を発するだけなのに、それほど大切にされる。コミュニケーションの原点なのだ。朝、昇降口などで生徒に挨拶をすると、多くの諸君は気持ちよく挨拶してくれるが、中には無表情で通り過ぎていく人もいて驚く。人間社会の基本を大切にして欲しい。また、前校長は、「挨拶は、まず目下の者から目上の者にするものだ。私は生徒に自分から挨拶なんか絶対にしません」と言っていた。私はそこまで堅いことは言いたくないが、社会の常識として諸君に教えておく必要はあるかも知れない。
 もしかすると、最近、いろいろと変なことが起こるのは、コロナによる影響もあるのだろうか? マスクの着用や行事の中止など、学校生活に様々な制約が加えられる中で、知らず知らずのうちにたまったストレスが、そんな形で現れているのではないか、ということである。感染症対策による制約はやむを得ないこととはいえ、そんな高校生活を余儀なくされた諸君に少しは同情もする。2年生特有の中だるみもあるかも知れない。だが、それらを言い訳の材料にするわけにはいかない。諸君の年齢になれば、どんな状況であれ、やっていいことと悪いこと、やるべきこととやるべきでないことはしっかり分別できなければならないからである。
 さて、本当は、そんなお説教がしたいのではない。高校入学後の1年半を振り返ってみて欲しい。諸君は、入学当初に思い描いていたような高校生活を送り、自分なりに努力して、思い通りの成長を実現させただろうか?10ヶ月後には就職試験や大学入試がある。この10ヶ月間にどんなことを実現させるつもりだろうか?時間は公平に与えられている。学校での環境も公平だろう。「学ぶ人は何からでも学ぶ、学ばない人は何があっても学ばない」という言葉を、私は諸君に何回も言ってきた。学ぶことは、学ぶ側の主体性によってのみ成り立つ。そのことは常に肝に銘じていて欲しい。
 今朝「学年だより」を配った。これを何のために発行しているのか?果たして読んでいる人がどれくらいいるのか?と聞かれることがある。全体に向かって答えておこう。
 私は「学年だより」を第1に自分のために書いている。書かなければ、自分が何を考えているのかが分からないからだ。また、書くことによって、自分が考え切れていないことが何かに気づき、気づくことで考えを深めることもできる。では、私はバカだからそんな面倒な作業が必要だが、賢い諸君は何もしなくても考え、深められるのか?
 もう一度繰り返すが、「学ぶ人は何からでも学ぶ、学ばない人は何があっても学ばない」。この「学年だより」を熟読して自分を伸ばす人、読まずに学ばない人がいるだろう。私はこれを利用する人が少数でも、いや、ゼロでもかまわない。強制的に読ませることも考えない。そんなことをしても効果は期待できない。自分を伸ばすことができるのは自分だけだからだ。学びの量は学ぶ側の主体性次第だが、学ぶための材料だけは十分に与えておく。それが私の責任を果たすことであり、実際に学ぶかどうかは諸君の責任だ。「学年だより」を熟読し、「やってごらん」と書いたことをやっていれば、就職試験でも大学入試でも絶対に困らない。「学年だより」はそんな風に作ってある。
 これを読まず、他の本も新聞も読まず、作文=考えることの練習もせず、それでいて来年の秋になってから、下手くそな作文を持って「合格できるように指導してください」と来る生徒がいたら、私は怒るだろう。手間をかけずに実力をつける方法を、私自身は知らない
 確認する。悪いことをしないことが諸君の価値なのではなく、努力によって自分を高めることが諸君の価値である。まず第1に、自分を伸ばすことにもっと真剣になって欲しい。それが高校生活の全てだ。何をしてはいけない、こうしなさい、ということをあまり言いたくない。だが、してはいけないことをすれば、やはり注意せざるを得ない。身だしなみ、思いやりをもって人に接する、欠席せずに早め登校、そして各自のロッカーを使った貴重品の管理、挨拶など・・・よく考えてくれたまえ。」