ノータリン

 温暖化も何のその、今日は少しましになったけれど、この数日、石巻も非常に寒かった。一昨日なんか、12月中旬だというのに真冬日(!)。一日中雪が降り、まるで日本海側にでもなったようだった。今朝、石巻から30㎞ほどの内陸では、マイナス13℃にまで下がったらしい。1月でもなかなかないことだ。びっくり。
 さて、平凡なる記事の3日目。明日が長い本命記事となる。


(12月16日付け「学年だより№73」より③)


【全ての人に可能性が・・・コロナ感染の誹謗中傷について】

 コロナ感染者が出たということで、その後授業そのものが打ち切りとなり、私があれこれ言うまでもなく、スポーツ大会の延長不可も受け入れやすかっただろう。
 幸い、検査の結果、全員が濃厚接触者に指定された当該クラスや、授業に行っていた先生方からも新たな感染者は出なかった。大事を取って、某クラスだけは23日まで学級閉鎖となる。
 ところで、身近なところから感染者が出た場合、感染した人に対する誹謗中傷(非難や嫌がらせ)というのが問題になる。塩高でも、休校措置について出された文書で、そのことについての釘が刺してあった。
 思うに、誹謗中傷する人というのは、自分は絶対に感染しないという自信があるのだろう。そうでなければ、自分が誹謗中傷される側になることを心配して、人にもそんなことは出来ないはずだからだ。
 しかし、絶対に感染する可能性のない人というのはいない。気をつけて生活することで、感染の可能性を多少下げるのが関の山だ。感染した人の中に、感染経路不明という人が少なくないことからも、それは間違いない。だとすれば、感染者を責める人というのは、単に自分が感染する可能性を想定できない「ノータリン(脳足りん)」だということになる。
 広くは「想像力」、もう少し狭く言えば「思いやり」。そんな心を持たない人が、感染者を責める。それは、自分が「ノータリン」だということをアピールするのと同じことだ。賢明なる塩高生であれば、そんなことは分かるよね・・・?