医療過疎の壁



 東北地方に新設されるという医学部の姿が見えてきた。今日の『河北新報』によると、東北薬科大学(?を母体とする大学)になりそうだ。宮城県が手を挙げた時点で、私はすっかり県立の医学部に決まりだ、と思っていたので、この決定はとても意外だ。琉球大学に医学部が新設されて以来、医学部の新設は37年ぶりだという。

 私は、今回の新設が、当初言われたように、医療過疎の解消のために医師の数を増やすことが目的だとしたら、その効果には懐疑的だ。その理由については、かつて書いたこともある(→こちら)。問題は医師の不足ではなく偏在なのだから、それに対する策を立てずに、医師を増やすことはむしろマイナスでもある、という記事だ。今もその考えは変わっていない。だが、少し変わった点がある。

 先日、知り合いの某医師と話をしていて、話題が医学部の新設と医師偏在の話になった。某医師はまだ30代で、小学生の子どもが二人いる。医師偏在を解消させるためには、金と時間で地方の医師を優遇するしかないと思っていた私は、そんな話をした瞬間に、強烈な反論をされてしまった。

「平居さん、そんなことで偏在が解消されるなら、とっくの昔に医療過疎の問題は解決していますよ。最大の問題は子どもの教育なんです。私だって、ど田舎で5年間医者をやれば、子どもを一高や二高に無条件で入れてくれるというなら、喜んで行きますよ(←子供が高校進学を機に仙台に戻るということ)。でも、そうじゃない以上、子どもの教育を考えると単身赴任するしかない。それが嫌なら、やっぱり地方には行かない・・・そうなっちゃいますよね。」

 う〜ん、これは盲点であった。確かに、医者の家庭ともなれば、どこでもいいから高校だけ卒業してくれれば・・・などといくはずがない。当然のように、成績優秀な生徒が集まる「名門校」に子供を入れ、特に開業などすると、子供にも医者になって欲しいと思う人が多いだろう。そうなると、「うちの高校からでも東北大の医学部に入れますよ。10年に1人くらいですけど・・・」という宮城県の地方拠点校では話にならない。私にとってはリアルでないが、なかなか切実な問題なんだろうなぁ、と思う。

 しかし、医師の偏在をこのままにしておいていいとも思えない。「医師の立場で考えて、何か方法ないの?」と尋ねると、「私には思い浮かびませんねぇ。動かそうとしたって、動かないですよ。」と言われてしまった。人間的にはまずまず立派で、使命感もそれなりに持っている某医師がそう言うからには、私のような傍観者が策を立てられるわけがない。私は降参してしまった。

 こうなると、なおのこと医学部新設には懐疑的となる。県立医学部が落選することで、県が膨大な財政負担をしていろいろな無理が発生する、という問題は回避できそうだが、医学部新設のために膨大なスタッフが必要で、それが新たな医療過疎の原因となることは心配されているし、そこで育った医師が結局都市部に残り、自分たちの生活のために新たな病人を作り、過剰に近い医療行為をするようになるというのも、決して悪意的な想像とは言い切れないだろう。

 東北に医学部新設という可能性が報道されるようになった時から、栗原や石巻が招致に名乗りを上げるなど、新しい大規模プロジェクトは、それによって生まれる目前の利益の誘惑が非常に大きい。教授のポストを期待している医師も多いだろう。ただでさえも、新しいことが始まるというだけで、世の中がよくなりそうだという他力本願の期待感をあおり立てる。だが、一体これは何のための医学部新設なのか、その目的は本当に果たされるのか、といったことについて、冷静に問い直してみることは大切である。