永年勤続表彰



 今日は仙台へ行っていた。なんとびっくり、「永年勤続」の表彰式である。平成元年採用の私は、今年で26年目となった。25年を無事終えると「永年勤続」となるのである。昔は表彰されると記念品をもらったり、宴席が設けられたりしていたらしいのだが、今や紙一枚(表彰状)の簡素な儀式である。出席する価値すらあるのかと思ってしまうが、管理職からは、ぜひ出席するようにと言われ、ま、大威張りで学校サボらせてくれるならいいか、と出掛けたわけである。

 宮水職員の朝の打ち合わせでも紹介するから一言、と言われたが、何か立派なことをして表彰されるならともかく、無為に25年という時間を過ごしたというだけで表彰されるのは恥ずかしいからと、勘弁してもらった。

 とはいえ、25年間、特別なトラブルを起こすこともなく、無事に教員を務めてきたのは、それだけで価値あることだな、とも思う。日常の生活と同じで、何も事故なく、食べられるかどうかの心配をすることすらなく、日々を平穏に過ごせることは、何よりも尊いことである。

 しかし、自分の職責ということを考えてみると、そうとばかりは言っていられない。もっと積極的な、生徒にこれだけのことを教え、これだけの影響を与えた、という何かが必要であるとも思う。この辺については、胸中なかなか複雑である。

 以前から時々思うのだが、採用されたばかりの頃は、経験はないが勢いがある。歳を取ると、経験はあるが勢いがなくなる。教員として必要なのはそのどちらもだ。どちらかというと、勢いの方が大切なのではなかろうか。

 その観点から、自分の25年を思い返してみる時、両者のバランスが最も上手く取れていたのは、石巻高校にいた9年間(31〜40歳)だったような気がする。この時期は、人とぶつかることも多かったが、専門外の「国語」の知識の蓄えもでき、部活で生徒を山に連れて行っても体力に余裕があり、自分なりにやりたい放題がやれていて、私と接する生徒の側でも、それなりの刺激を受けられたのではないか、と思う。仙台一高にいた7年間は、通勤にもエネルギーを取られすぎていたし、社会全体による学校へのプレッシャーも強くなり、年齢だけではないいろいろなマイナスがあって、どれほどまともな仕事ができたかは自信がない。今は、長距離通勤の苦痛からは解放されたが、年齢による気力・体力の衰えがひどく、なんとなく無難な道ばかりを歩もうとする傾向が強い。

 そうは言っても、自ら希望しない限り、退職まではまだ10年近い時間がある。理屈で考えても、なかなか気力というのは湧いてくるものではない。だとすれば、今の自分をどのように動かすことが、今の自分を生かして社会貢献することになるのか、年齢相応に付いたはずの知恵を働かせて考えてみなければ、と思う。