『朝日新聞』で、夏目漱石『こころ』発表100周年記念のリバイバル連載が終わったと思ったら、今度は『三四郎』を連載している。臨場感が魅力的なので、またせっせとコピーの取り溜めだ。武蔵大学教授・大野淳一氏による語句解説や新聞記者によるらしいコラムも面白い。
先週の木曜日に掲載された「第26回」には、「三四郎の風景」というコラム(中村真理子筆)が付いていた。列車の中で弁当を食べることについてのものである。最後の部分は、次のとおりだ。
「三四郎は空の弁当箱を窓から放り出す。あいにく女が窓から首を出していた。羽島知之編「駅弁ラベル大図鑑」を見ると、明治から昭和にかけて、駅弁の包装には「空き箱を窓から投げず、腰掛けの下にお置き下さい!」としつこく注意書きがある。」
1988年1月6日のこと、私は中国の上海から広州まで列車に乗った。上海発9:02の49次特快。確か、広州には翌日の18:00に着いた。中国で長距離列車に乗ったのはこの時が初めてである。中国の長距離列車には、たいてい食堂車(餐車)が付いているが、2等寝台(硬臥)に乗っている学生には分不相応な感じがして、値段を確かめることもなく敬遠した。食事はワゴン車で売りに来る弁当に頼ることになった。
白い発泡スチロールの弁当箱で、日本で見るのよりはやや深めのものに、ご飯を入れ、上に八宝菜のような具がかけてあるものが多い。値段はよく覚えていないが、一個10元(130円?)だったように思う。列車(特急の2等寝台、1803㎞)が50元だったから、決して安くない。
硬臥は、日本の昔のB寝台と同様、幅の狭いベッドが向かい合わせに3段ずつ並んでいる。一つの区画に6人だ。全員を覚えているわけではないが、その中で最も親しくなったのは、仕事のために広州に行くとかいう3人連れのひどく陽気なビジネスマンたちだ。彼らと話をしながら弁当を食べ、空になった弁当箱をどこに捨てたらよいのかと尋ねると、その中の一人が私の手から弁当箱をすっと取り上げ、窓を開けて、外に勢いよく投げ捨てた。私は驚いた。リンゴやみかんの皮ならともかく、発泡スチロールの弁当箱は腐らない。そんなものを気軽に捨てていいのかと思った。見れば、線路沿いにはおびただしい数の弁当箱が延々と捨てられて、真っ白になっている。あまりにも大量なので、始めは弁当箱と気付かなかったが、気付いてみると、美しい中国の田舎の風景も台なしだ。
「三四郎の風景」を読みながら、そんなことを思い出した。明治から昭和にかけての日本の鉄道線路沿いも、よく似た風景だったのではないか。いや、20世紀の終わりだから発泡スチロールなのであって、昔の日本では、弁当箱は紙や木で作られていただろうから、私が見た中国の風景ほど無残ではなかったかも知れない。
数年前に、『プログレッシブ中日・日中辞典』(小学館)というポケットサイズの中国語辞典を買い、パラパラと読んでいたところ、「白色汚染(bai se wu ran)」という言葉が目に止まった。「発泡スチロールやポリ袋などの生活廃棄物による環境汚染」と説明してある。20年ほど前に見た中国の車窓の風景をリアルに思い出しながら、なるほど、上手い表現を考えたものだと感心した。
それから25年あまり。中国の列車は高速化が進み、空調完備で窓の開かない列車が大半を占めるようになった。今年の夏に列車に乗った際には、コンビニ等で食糧を買って乗り込んでくる乗客が多いからか、車内での弁当売りにもお目にかからなかった。線路沿いにゴミが散乱しているということもなく、鉄路沿いの風景はすっきりときれいになった。一方、高速化による危険防止のためか、テロ対策か、線路沿いには上に有刺鉄線を付けた高くものものしいフェンスが切れ目なく設置されていて、鉄路は完全に隔離されている。これはこれで興醒めな風景であった。