日曜日の小探検・・・葉山神社

 7月2日、仙台でも真夏日が予想された日曜日、私は、定期考査が終わり、部活も休みという娘と小さな二人旅に出た。目指すは松島である。
 4月以来、毎日、仙石東北ラインで塩釜まで通っている。高城町・塩釜間、東北本線だと松島駅のすぐ南に、仙石線東北本線の接続線というのがある。列車は必ずここで信号停止をする。徐行運転だからこそ目に止まる接続線の少し南にある不思議な風景を、私は毎日のように気にしながら、一度調査に行かなければ、と思っていた。それを実行することにしたのである。子供には「ブラタモリの平居家バージョンやるぞ!」と声をかけたが、息子(たまたま野球が休みだった)には相手にされなかった。
 不思議な風景とは、次のようなものである。

東北本線仙石線の線路に挟まれた20mにも満たない狭い中州のような場所に、鳥居と壊れた石灯籠があり、小径(踏み跡程度)が線路を横切っているが、踏切はない。
・線路の西側にはコンクリート製の急な階段があって、ずっと山の上の方まで続いていて、先は見えない。
・鳥居の所には瑞巌寺の裏手から道がついているようだが、瑞巌寺境内を通り抜けられるのかどうかは不明。鳥居から松島駅方面へも道はあるが、途切れていて通り抜けられそうにない。

 自宅に松島の地形図がないので、道路地図である『ライトマップル宮城県版』で松島海岸付近の拡大図を見てみると、階段の先には葉山神社という神社があって、線路と反対側からは車道もついているらしい。瑞巌寺は、陽徳院という建物と本堂との間を通り抜ける道があることになっている。関係者以外通行禁止、という表示はない。
 娘と8:37石巻発の仙石線に乗り、9:21に松島海岸駅に着いて歩き始めた。国道45号線を北上し、松島蒲鉾本舗という所から左折、陽徳院を目指す。観光客が目指す瑞巌寺本堂とは、通りが一つ違うおかげで、とても静かである。放生池という池があり、蓮の花が咲き、鯉が泳いでいる。右手に陽徳院で、これが専門道場(僧堂=禅堂=僧侶の養成所)になっている。僧堂にしてはひどく開放的な建物だが、シンプルでこぎれいだ。山門とすぐそばに生えている大きな槙の木については解説の看板も出ている。周辺の苔も、京都ほどではないが美しい。
 当然、道場には入れないが、本堂との間には確かに一般も通行できる細い道があり、古びた切り通しを越えると、仙石線東北本線が走る狭い平野状の部分に出る。電車の中から線路脇に見えているのとは違う大きな鳥居があって、これが葉山神社参道の入り口らしい。
 そのまま行くと、まず仙石線の線路がある。「線路横断禁止」の看板は出ているが、明らかに神社の参道である。渡るなと言われても困るので、そのまま渡る。そこに立っているいつも気にしていた鳥居をくぐって東北本線も渡ると、いよいよ階段だ。
 薄暗く、じとじとと湿った急な階段を上ると、途中にどう見ても何も書かれていない板碑が立っていて、それを過ぎて更に行くと、頂上に葉山神社が建っている。しょせん里山の端っこなので、線路から数分である。比較的新しい白木の社殿で、扉が全て閉まっており、何も見ることが出来ない。神社につきものの賽銭箱も鈴もなく、賽銭箱の代わりに金属製の小さな菓子箱が、鈴の代わりに鐘楼があって、寺と同様の鐘がぶら下がっている。社殿中央の扉には、「葉山神社の木札・御守り等は、瑞巌寺社務所にてご用意しております。」と書かれている。びっくりだ。神社なのに、管理をしているのは寺らしい。瑞巌寺内に神職宮司)が居るのかどうかは定かでない。
 ここまでで、だいたい当初の疑問は解決したのだが、同じ道を引き返すのもつまらないので、車道である裏から戻ることにする。ところが、本殿から100mあまり歩くと、「奥の院」という石柱が立っていて、鳥居がある。せっかくだから奥の院も見ていくことにする。気味が悪いと嫌がる娘を無理やり引っ張って、奥の院への道をたどる。これが意外に長い。線路から登ったのに匹敵する長い下りの階段が続いている。下り切ると、水垢離場のような所があり、そばに祠が建っている。薄暗く細い谷間で、水も決してきれいではなく、いかにも蛇やカエルがたくさんいそうな気持ちのよくない所だ。これが奥の院だと思って引き返そうと思ったが、川を下る方向に踏み跡があるので、どこに続いているのか確かめておこうと少し行き、小さな尾根を回り込むと、「三面大黒」と書かれた比較的新しい石碑が建っている。そのすぐ先、数m高いところに祠があって、金属製の長い階段が付いている。蜘蛛の巣を払いながら階段を上って祠をのぞき込むと、確かに三方に顔のついた小さな大黒様が鎮座している。おそらく、これこそが奥の院なのだ。地形は小さいが、これほど町に近いところに、深山幽谷風の谷間があり、まるで大神社のミニチュアのような、水垢離場から奥の院まで揃えた神社があるのは意外だった。これはやはり来てみるものだったと、あえて調査に来た価値を感じながら裏参道に戻った。
 帰宅後、いったい葉山神社とはどのような神社なのかとインターネットで探してみたところ、松島町のホームページに紹介があった。鎮座の年代は不明で、本尊は瑠璃光如来中村元『仏教語大辞典』によれば薬師如来のことらしい)だと書いてある。え!?神社のご本尊が「如来」?!加えて、「社殿のうしろには葉山清水といわれる泉があり、水が清くひでりにも枯れることがありません」と書いてある。「社殿のうしろ」とあるからには、水垢離場のことではないだろう。尾根の先端のような所にある社殿の裏に、果たして清水の湧く泉などあるものなのだろうか?私は社殿の裏を見てこなかったことを後悔した。「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり」(『徒然草』第52段)という言葉を思い浮かべながら、事前に調べを尽くさなかったことへの後悔を感じたのは、2度3度のことではない。(続く)