帰国しました



 中国から戻ってきた。ある程度予想していたとおり、狂ったように暑かったので、石巻に戻ればさぞかし快適だろうと思って帰って来たところ、思いの外に暑くてすっかりまいってしまった(日本はエル・ニーニョで冷夏のはずだったのでは?)。しかも、35〜37度の中国で、ホテルの部屋に入るとエアコン効きすぎ(調節してもなぜか変わらない)という状態だったため、疲労もあって風邪を引き、鼻水を垂らしながら生活している。腰も少しおかしい。この2日間、登校日があったりしたものだから仕事には出たが、文字など書く気にならなかった。昨日くらいから暑さが一段落したおかげで、少し元気を回復したような気がする。

 詳細を報告するほどのこともないが、結局、次のように動いた。

7月25日(金)仙台空港から成田乗り換えで広州まで。

  26日(土)広州

  27日(日)広州

  28日(月)広州  夕方、列車に乗る。

  29日(火)早朝 桂林着。

  30日(水)桂林

  31日(木)桂林  夕方、列車に乗る。

8月 1日(金)昼前 武漢着。

   2日(土)武漢

   3日(日)武漢から動車組(中国版新幹線)で岳陽、バスで長沙へ。

   4日(月)長沙・韶山

   5日(火)午前、長沙から動車組で広州へ。

   6日(水)広州から成田乗り換えで仙台。

 学問的な関心で動いているわけだから、とても一般的とは言えない所にばかり出入りしていたのは確かだが、それでも、せっかくの機会だからと、ごく当たり前の観光地にも少しは行った(桂林で靖江王府や漓江の川下り、岳陽で岳陽楼、長沙で岳麓書院や韶山の毛沢東生家)。にもかかわらず、今回も一人の日本人にも会わなかったし、見かけもしなかった。初日に飛行機(ANA)の機内で日本語を聞いたきり、次に日本語を耳にしたのは最終日、広州の空港のチェックインカウンターだった。武漢のホテルで、私が外国人だと知ると英語しか使わないという変な職員がいて、2分間くらい英語を使った(使わせられた)以外は、中国語に浸っていた。もっとも、広東語が一般的であるはずの広州よりも、武漢湖北省)、長沙(湖南省)といった所の方が訛りが強く、現地の中国人同士が話しているのを横で聞いていると、それが多少中国語を心得ているはずの私にさえ中国語に聞こえないという状況があり、なかなか疲れた。しかも、中国人は怒鳴るように大声・早口でまくし立てる人が多い。

 宿と食事はどうにでもなるが、列車の切符を手に入れるのはやはり大変だ。今やインターネットを使えば、リアルタイムで空席数を把握することが出来るのは画期的だが、日本からはネット予約が実質的に不可能だ。そこで、空席数の減りを見ながら、出発の10日くらい前に「まずい!」と思って現地調達を断念し、広州→桂林、桂林→武漢の切符を、相当な手数料(1枚当たり1500円くらい)を払って中国の旅行会社に確保してもらったが、それでも広州→桂林は寝台が取れなかった(硬座=2等座席=夜行は辛い)。街の中に時々ある「鉄道切符売り捌き所」みたいな所は、けっこう空いていていいのだが、どこにあるかが非常に分かりにくいし、駅の窓口へ行けば、騒々しい中で30分は並ぶことを覚悟しなければならない。意中の切符がすんなり確保できればいいが、それが売り切れていると、次の手段をどうするか、後の人から「早くしろ!」とプレッシャーをかけられながら、私にとっては明瞭でない中国語になんとか付いて行かなければならない。切符は20日前に発売になるが、そんなに早く予定が立たない場合、そもそも旅行期間が10日そこそこといった場合には、列車の切符の確保が最も頭の痛い問題だ。3日と5日の動車組の切符は、1日に武漢で買った。動車組は1時間に5本くらい走っているので、特定の1本に固執しなければ、切符の確保も比較的容易。日本の新幹線と同様、列車としてはまったく面白くないが、その点だけは本当に助かる。長沙から広州まで700キロあまりを2時間半というのは本当にびっくり!!だ。

 冒頭に書いたとおり、ひどく暑かった。今回訪ねた中で最も南に位置する広州や、「三大ボイラー」の武漢は思ったほどではなかったが、桂林、岳陽、長沙は狂ったように暑かった。だいたい最低27度、最高37度といったところだ。桂林なんて山の中で、「山水画の風景」とか言われる場所だから、風景だけ見ていれば、いかにも高原の涼風が吹いているといったイメージだが、そんな場所ではなかった。漓江の川下りで、船のデッキに立って風景を眺めるのは、フライパンの上に立つ忍耐が求められる。しかし、現地の人は、案外「あち〜、あち〜」と文句を言わず、淡々と生活している感じだった。

 とりあえず・・・。