教員免許というタテマエ



 どろ〜んとした疲労感が抜けない。中国に行く前からのような気がする。7月に行われた職場検診の結果は、素人目にも極めて軽微と分かる境界値が一つあっただけ。養護教諭が、「平居先生の年齢で、こんなきれいなデータが並んでいる人めったに見られませんよ!」とびっくりしていたくらいだから(「あんた本当に仕事してないんだね」の裏返しか?)、それで全てが分かる訳でないとはいえ、多分、病気ではないのだろう。新学期も近付いているし、早く何とかしなければ・・・と思う毎日。

 何も書く気になれなかったこの間、8月11日(月)、今年「芸術科主任」である私(→参考)は、宮城野高校で行われた教育課程研究会(→参考)というのに出席した。宮城野高校とは、19年前に宮城県で初めての「総合学科」を持つ高校として、鳴り物入りで新設された高校である。総合学科、美術科といった目玉商品に加え、校則、部活動がない、という特徴も持っている。初めて訪ねた宮城野高校は、いくらお盆に近いとは言え、月曜日だというのに、自習をしている生徒の姿がわずかに見られるだけで、学校全体がしーんと静まりかえっていた。

 さて、学力低下、いじめを始めとする生徒の問題行動の多発、誇張して語られる教員の不祥事、といったことの結果として、教員の資質向上がうるさく言われるようになり、その具体的方法として、研修会の増加や教員評価とともに、教員免許の与え方というものが問題とされている。既に、教育実習期間の延長、教員免許の更新制度が実行に移され、修士号の取得を条件にするといった話も出ては消え、消えては出る状態だ。

 これは私にとって不思議なことである。研修や授業で立派な教員が育つと信じられているようで、その感覚が理解できないのである。

 宮水芸術科主任である私が持っている教員免許は、「高等学校専修免許状(国語)」だけである。多くの高校教員は、中学校の免許も持っているのであるが、私はない。なぜかと言うと、もともと教員希望でなかった私は、大学の先生の強力な指導によって、とりあえず教職課程は取ったものの、中学校の免許を取るためには、高校よりも確か2種類(←4年間でたった2種類)だったか多く単位が必要で、それすら面倒くさかったからである。それでも、もちろん、高校で国語の教員をしている限りは文句のあろう訳がない。しかも、大学院(修士)を出ている都合で、「専修免許」である(学部卒なら「一種免許」)。これがあると管理職にもなれる(笑)。

 当然ながら、「芸術(書道)」の免許は持っていない。免許がなければ授業をしてはいけないことになっている。そこで、「書道」を受け持つことが決まった昨年度末、校長が私ともう一人の担当者K先生について、「免外申請」というのを行った。免許外で授業を担当することを許可して欲しいという、学校としてのお願い、である。「承認書」もしくは「臨時免許状」というものが発行されたのかどうかは知らない。少なくとも、私は見たことがない。実際に授業を受け持っているからには、申請が認められたことだけは間違いない。

 「免外申請」の実務担当者は教務主任である。申請書類を書くに当たって聞きたいことがあるからと、3月末に私は呼ばれた。聞かれたのは、最終学歴だけである。書道の心得があるかどうかとか、書道の教科書に出てくる「○○」や「△△」といった用語の意味が分かるか、といった質問は一切なかった。

 ははぁ、教員免許などというのはこの程度のものなのだな、と思う。免外申請のデタラメさがケシカラン、と言うよりは、教員免許などタテマエに過ぎない、ということを県も分かってるんじゃないか・・・という思いだ。そもそも、教員の仕事は教員免許の枠からはみ出したような部分(免許取得の過程で教えてくれないこと)ばかりが多い上、大抵の高校生の学力は、「大人の常識」で十分に対応可能なレベルだからだ。ほとんどの高校で、わずかばかりの予習をすれば、数学でも物理でも、通り一遍の授業なら(←あくまでも「通り一遍の授業なら」ですよ)私にも簡単にできると思う。そう言えば、かつて(今の制度は知らない)勤務していた学校で、教頭になると免外申請無しでどんな科目を受け持つこともできると知り、実際に、社会の免許しか持っていない教頭に国語の授業を担当してもらっていたことがあった。教員免許がタテマエでなければ、スーパーマンしか管理職になれないことになる。いや、管理職になった瞬間に、ただの教員がスーパーマンになることになる、と言った方が正しいだろう。

 思えば、私は文学部哲学科の出身である。哲学と最も関係が深い高校の教科は「倫理社会」で間違いないだろう。だとすれば、私が持っている教員免許としては、「社会(当時は地歴と公民に分かれていなかった)」が最もふさわしい。省エネに徹するあまり、中学校の免許さえ取らなかった私が、面倒な思いをしてわざわざ「国語」の免許を取るはずがない。なぜ、私の免許が「国語」かと言えば、それが一番楽に取れる免許だったからである。と言うのも、中国哲学専攻であった私は、大学で通常使っているテキストが漢文で、漢文は日本文学と歴史的に関係が深いため、漢文を使った授業が日本古典文学の単位として「見なし」もしくは「読み換え」てもらえ、国文・国語に関する若干の授業を補足的に取りさえすれば、それで「国語」を専門的に学んだと認めてもらえるからである。では、その漢文の知識が、高校の授業でどれだけ役に立つかと言えば、申し訳ないが、ほんの少し(=まれ)に過ぎない。「社会」の免許を取るためには、地理や歴史、政治経済に関する多くの授業を受ける必要があった。

 ま、どこからどう見ても、教員免許なんて何の証明にもならず、この程度のものなのである。にもかかわらず、どこそこで免許を持っていない「先生」が○年間にわたって授業をしていた、などということが大きなニュースになったり(いくらタテマエでも、制度が存在する以上、無免許教員はまずい。それを大騒ぎすることが問題)、免許を更新制にしたり、取得のハードルを上げれば教員の質が向上したりする、という議論を聞くと、あほくさいなぁ、と思う。時間や金が必要だから、なおさら迷惑の感は強い。

 一般企業でも、資格を持っているからといって何ができるわけでもなく、実際の職業的力量は実務経験を重ねる中で養われる、とはよく聞く話である。教員だけが例外であるはずがない。まったく同じである。

 ともかく、実質的に無免許芸術科主任である私は、もっともらしい顔をして教育課程研究会なる会に出席し、もっともらしい顔をして指導主事や科目代表者のお話を拝聴し、もっともらしい顔をして多少の意見をも述べ、部活のない学校はいいなぁ、などとつぶやきながら一日を過ごし、宮城野高校を後にしたのであった。