芸術科主任、書道教育研究会へ行く



 私を直接知る人が聞いたらびっくり仰天だと思うが、私は今年、宮水の「芸術科主任」である。決して「国語科主任」の間違いではない。

 高等学校という場所は、3年間で生徒が勉強すべきことについて、あれこれと細かい規則があるのだが、その中に、「芸術科目を2単位以上履修する」というのがある。「芸術科目」とは、美術、音楽、書道である。学校によっては科目を指定している学校もあるし、選択式にしている学校もある。学校中探してもピアノが1台もないという宮水は1学年全員に「書道」指定で、しかも専任の教員がおらず、国語科の教員が臨時免許の申請をして受け持つことになっている。今年も、3名の国語科教員のうち、私を含む2名が担当することになった。もちろん、書道の心得などないに等しいのだが、そこは「大人の常識」でなんとかし、なんとかなるものである。美しい文字を書くための前提は、文字を正しく知ることだと言って、文字の読み書きを練習している時間が長い。

 今日は、年に一度の、教科研究会(総会)という集会が一斉に開かれる日であった。「書道教育研究会」の案内も届いた。委任状というのを提出すれば、行かずに済ませることもできるのだが、何しろ、宮水から異動してしまえばそんな会に出ることなど絶対にないのだから、宮水にいるうちに一度それがどんな世界なのか見てこよう、という思いが強く湧き起こってきて、今年は出席することにした。

 案内文書に、学校における書道の授業の実施状況や、担当教員に関する情報を記入して提出するための用紙が添えられていた。担当教員の名前の後に、「役職」「号」と欄が続く。私は最初にこれを見た時、「号」というのは、給与のことだと思った。私たち公務員は、職務による給与表の種類と、号俸と言われる番号で、給与が分かるようになっている。平教員は「教育職2級」という給与表を使うので、例えば「2級87号俸(略して2−87)」というように表記する。

 私は自分の号俸も、一緒に担当しているK先生の号俸も知らなかったので、事務室に聞きに行ったところ、今時そんな個人情報を書かせる書類があるわけがない、と言われた。昔は『教職員録』という名簿にも公然と号俸が書かれていたので、私は年齢を知るための目安として号俸を使うことにあまり抵抗がない。だが、言われてみると確かに変だという気もする。年齢が必要であれば、号俸ではなく、年齢を直接書かせるはずだ。そうしたところ、ある人が、「もしかして書道研究会って書家の集まりだから、みんな雅号を持ってるんじゃないの?」と言い、周りの人たちも、そして私も、なるほど!と大きくうなずいた。

 なんだか自分がひどく場違いな所に行くような気がしてきた。狭く濃密な世界で、私なんかが行くと、「誰こいつ?」というような顔で見られるのではなかろうか・・・?と思った。学校を出る時、ちょっと仙台まで行ってくるよ、と言ったら、「和服じゃなくていいの?」と冷やかされた。

 書道教育研究会総会は14時から、仙台市内の某所で行われた。来賓(県の役人)を別にして、集まったのは27人である。配られた『研究集録』を開くと、県内各高校の書道の授業開設状況や担当教員名などの一覧票があった。公立と私立を合わせて、書道の授業を行っている学校は53校で、専任教員はわずかに3名。兼任が22名で、講師は13名である。複数校を掛け持ちしている講師がいたりはするものの、教員数の合計が、なぜ加盟校の数よりも少ないのかは理解できなかった。

 知っている人は会長だけだった。大学の先輩なのであるが、書と縁のある人だとは思わなかった。国語科出身の校長として、何かの事情で当てられた職なのだろうと思ったら、教員になって、私と同様の事情で書道を担当することになったことから自ら書道を始め、それなりに時間を費やしてきたのだという。名簿を見れば、「号」も持っている。これには恐れ入った。

 規模は国語教育研究会よりはるかに小さいし、教科の研究会が高等学校文化連盟(高文連)書道専門部と渾然一体化しているという特徴はあるものの、淡々とした総会の雰囲気は何ら変わらず、私が出ていても好奇の目で見られるということもなく、違和感を感じることもなかった代わりに、新鮮な発見や驚きもなかった。だが、物事は実際に見てみないと分からないものである。何も特別なことがないという発見をした貴重な半日であった。