復興まちづくり市民フォーラム



 今日は、知人から声を掛けてもらい、「復興まちづくり 市民フォーラム」(主催:南リアス海岸の自然を未来に残すネットワーク)という集会に参加するため、気仙沼の近く、小泉という所に行っていた。チラシを見ると、「私たちは、三陸海岸の防潮堤の現実を知る機会がほとんどありません。今回は、今、何がおきているのか、そして、持続可能な復興まちづくりに取り組んでいくための視点やその方法を、よい事例を通して学びます。」とある。

 会場である小泉公民館は、新築完成したばかりのピカピカの建物だった。集まったのは30人強に過ぎなかったが、宮城県では気仙沼から仙台まで、更には県外から来た人もいて、参加者の意識の高さがうかがわれた。

 主催者が防潮堤工事の現状について最近の現地調査の結果をレポートした後、地元出身の文化人類学者、環境デザイナー、大谷や南三陸の復旧事業について考える市民団体の代表者などが、それぞれの立場から活動報告や提言を行った。13:30〜17:00、延々3時間半、休憩もほとんど無しというハードな会だったが、退屈することもなく話を聞くことができた。

 それらの話一つ一つについて、ここに書くことはできないが、行政が推し進める防潮堤工事など、巨大プロジェクトに住民が意見を言うことの難しさを痛感した。行政が仕事として、役所の中で活動できるのに対して、住民は他に仕事を持ち、バラバラに住んでいて、声を掛け合いながら集まることそのものが難しい。住民には縦の序列が無いため、対立する利害や意見の調整も困難だ。あまりにも大きなハンディを背負いながらの活動となる。

 しかし、その一方で、今日報告をした団体などは、防潮堤を作るか作らないか、という二項対立から生じる感情的対立を乗り越えるために、いろいろと工夫や努力を重ねながら、住民の一致点を見出し、行政に働きかけを行って、満額回答にはほど遠いとは言え、それなりの成果を上げている。偉いものだな、と感心した。

 会の最後に、各自が今最も訴えたいことを紙に書いて発表する、という企画があった。私は、「自然、景観、財政 後の世代に負の遺産を残さない」と書いた。以前から私がよく言うとおり、「利益は目前に、より大きな不利益が将来に」(→参考記事)である。自然や景観を、震災ショックの緩和や土木工事の活性化(経済対策)として破壊することは、今日の報告でも触れられていたが、単に見た目の問題だけではなく、海洋環境の悪化、水産資源の減少を引き起こす。また、人間が自然の中で生きていることを忘れ、どんどん自然から離れて生きている以上、対症法的な策をいくら施しても、少子化は止まらない(→参考記事)。すると、今でさえ天文学的な国や自治体の借金は、一人あたりで加速度的に増えていく。石油を燃やすことの罪悪も言うまでもない(→参考記事)。私は、子どもたちが食糧不足に苦しむことなく、借金の取り立て(重税)に疲弊することもなく、慎ましい、それでいて安心・平和で幸せな生活が出来るような世の中を残したい。それを邪魔するような負の遺産は残したくない、と切に思うのである。

 今日の30人を多いと見るか、少ないと見るか?もちろん、他県から来た人も含めて、宮城県内の30名である。沿岸部の人口と比べてみても、ほとんど何の意味も見出せないほどの小さな数字だ。30人の問題意識が一致しているとも限らない。だが、その問題意識はおおよそは一致し、全体として間違いなく正しいと思うし、だとすれば、「どうせ〜」という諦めや言い訳を乗り越えて、そこから何かを始めなければ、と思う。少し励ましを受けた気分で帰って来た。