訂正できることは訂正すべきだった



 プロ野球クライマックスシリーズが始まった。よく言われることだが、1年間の積み重ねの結果としての順位を、わずか3試合や6試合でひっくり返せるというのは困ったことである。野球の試合を見られるのはいい。だが、毎年、手に汗握るような白熱した試合をして、最後は順位通りになって欲しい、と、勝手なことを思いながら見ている。

 特に今年のセ・リーグはすっきりしない。言うまでもなく、9月12日のホームラン誤審事件があったからである。誰でも知っているとは限らないので、ごく簡単に書いておくと、9月12日の阪神・広島戦の延長12回表、3塁打とされた広島・田中の打球が、実はホームランだったことが写真によって判明し、2日後の9月14日に日本野球機構(NPB)が誤審を認めた、という出来事である。試合はそのまま、引き分けで終わった。困ったことに、最後までもつれたセ・リーグは、結局、この誤審がクライマックスシリーズ出場権を左右することになった。そう、誤審がなければ、今日の試合は巨人対広島だったのである。正真正銘、命をかけて野球をしているであろうプロ選手として、これは恨んでも恨みきれない痛恨の事態だ。

 私が理解できないのは、NPBが誤審を認めた時点で、なぜ9月12日の試合を広島の勝ちに出来なかったか、ということだ。どうしても、世の中には訂正可能なことと不可能なこととがある。

 例えば、広島の攻撃、2アウト1塁で打者の打った打球はセカンドゴロ、セカンドが取って1塁に投げたところ、1塁手の足がベースに付いていなかった。しかし、審判の判定はアウト。広島側の猛抗議にもかかわらず、判定は覆らなかった。ところが、後日、別の角度から撮った写真で、やはり1塁手の足はベースに付いていなかったことが判明した。さて、この場合、試合の数日後に、2アウト1、2塁からプレーを再開するわけにはいかない。再試合の日程を組んで選手を集めるのも大変だし、その時のピッチャーが、その時のコンディションで投げることも不可能だろう。試合には流れというものがあるから、一度止めてしまった流れを、途中から再現するなど出来るわけがないのだ。これが、訂正不可能なことだ。

 一方、ホームランは常に流れから独立・完結したプレーである。だから、ホームランを3塁打と誤審したことについては、「やっぱりホームランでした。よって、12日の試合は、引き分けではなく、3対2で広島の勝ちとします」と訂正して、何の不都合があるのか分からない。あの時ホームランとなっていたら、1点ビハインドの阪神は、同点の時以上に必死になり、その裏に2点取って勝っていたはずだ、などと想像することは現実的でない。だから、私には訂正可能なことに思える。

 画像であれだけはっきり写ってしまっては、どうしようもないのだろうが、誤審を認めることには大きな決断が必要だっただろう。しかし、それと試合結果の訂正との間には、さほど大きな断層があるとは思えない。誤審を認めた時に、試合結果を訂正してくれていれば、これほどもやもやした気分にならずに「巨人対広島」戦を楽しめたのに、と思う。