「戦後」とは何か?

 昨日の朝日新聞に掲載された大きな記事、「右派の改憲 今なぜ「反体制」なのか」(慶応大学教授・小熊英二筆)を興味深く読んだ。言うまでもなく、最近、日本会議との関係で、右派とか保守とかの正体についてあれこれ思い巡らせていたからだ。
 著作権に触れないであろう範囲で、その内容を紹介しておく。筆者の問題意識は、「戦後」とは何か、ということである。
 筆者は冒頭で結論を述べる。「戦後×年とは、日本国建国×年の代用だ」と。以下要約。


第2次世界大戦後、「『大日本帝国』が滅んで『日本国』が建国されたと言えるほどの体制変更が(中略)あった(中略)のにその時代区分を表す言葉がない。そのため自然発生的に、『建国×年』に代えて『戦後×年』と言うようになった。だから戦争から何年経っても、『日本国』が続く限り『戦後』と呼ばれるのだ。
 では、どうなったら『戦後』が終わるのか。それは『日本国』が終わる時だ。(中略)例えば天皇主権、言論・出版の制限、平和主義の放棄などを改憲によって国家原則にすれば、『日本国』と『戦後』は終わるだろう。
 それでは、敗戦後の『保守』『革新』の対立は何だったのか。それは、新しく建国された『日本国』を認めるか、認めないかをめぐる対立だった。(中略)戦後体制を認めない『反体制』(中略)勢力は(中略)右派だった。
 例えば1978年にA級戦犯を合祀した靖国神社宮司松平永芳はこう述べた。『現行憲法の否定は我々の願うところだが、その前には極東軍事裁判がある。この根源をたたいてしまおうという意図のもとに、“A級戦犯”14柱を祭神とした。』
 日本でも戦争から20年も経つと、左右両極の『反体制』は政党政治の主流から消えた。しかし今になって、時計の針を逆戻りさせるような『体制をめぐるイデオロギー対立』が復活している。かつて『戦後レジームからの脱却』を唱えた首相が、改憲を提言したことによってだ。」


 これは大変説得力のある見解だと思われる。しかし、残念ながら、なぜ戦後体制を認めない反体制勢力が存在し続けてきたのか、ということには答えていない。もしかすると、それは筆者にとって自明のことだったのかも知れない。敗戦を認めたくないという心理の理解は容易だからである。
 しかし、敗戦を認めたくないということと、戦前体制への復帰を目指すことは必ずしもイコールにはならないはずである。もしも戦争へ向けて暴走したことについての冷静な分析と反省があり、謙虚な向上心があれば、敗戦をきっかけとして、戦前の体制を自ら見直すことが当然だからだ。それをすることが出来ず、アメリカの介入によって国民主権基本的人権の尊重、平和主義を定めたことで、日本人の意識が追いつかなかったとしても、反発すべきは当時であって、その後数十年を経て、他国の政治体制をも参考にすれば、それらの国家原則の正しさは自ずから納得されて当然である。
 にもかかわらず、それが出来ないとすれば、日本人がよほどバカだというのでなければ、やはり、敗戦によって日本人が、ゆがんだコンプレックスを持つようになったことが原因であるとしか考えられない。しかも、その敗戦コンプレックスは敗戦の反省無き全否定である。記事に引用された靖国神社宮司の言葉に、そのことはよく表れている。戦後の混乱期にアメリカが関わったことは、保守派にとって戦後体制を否定するための都合のよい口実でしかないだろう。やはり、先日の私の分析(→こちら)は正しいのではあるまいか?心弱い人間は、自分の弱さを認めたくないために、空威張りや強弁をするか、他人を否定するか、なのである(→参考記事)。