登山大会・ミネザクラ・大震災



 6月4日から今日までが高校総体であった。宮城県水産高校書道愛好会副顧問の私は、それに見合う居場所がない上に、高体連登山専門部から「まぜてやるから、役員として来るように」というお達しがあったので、蔵王で山を歩いていた。山の大会(競技=これについては2007年6月5日や2002年6月6日の記事参照)などというものを鼻からバカにしている私が、一本の電話でのこのこ出掛けていくのは、旧知の人々と「交流」出来るからである。高校大学とバリバリ登山をやって来たなどという人が少ない上、もともと自己満足と思索を追求するだけという「登山」の性質から、顧問部会には変な秩序や因習がなく、開明・純粋であって、居心地甚だよろしい。

 今年の参加者は、生徒が20チーム(男13、女7)75名(男49、女26)、教員等が51名、補助員であるOB・OGが12名であった。つまり、生徒75名に対して、引率者63名というマンツーマンに近い態勢である。今や絶滅危惧種の山岳部も、かつては、大会参加者だけで生徒500名、引率者150名などというとんでもない時代もあったと聞いて驚くが、その時代は生徒3名余りに対して引率者1名という計算になるので、その比率の変化にも驚く。どうして今はこんなに引率者が増えたのだろうか?例えば「医師」「隊長」など、参加者数に関係なく必要な、スタッフの「基礎数」とでも言うべきものがあるのは確かだが、むしろ、現在の世の中の「責任追及指向」を受け、「何かあった時にどうする」という、言い出したらキリのない問いに最大限対処する為に、この過剰とも言えるサポート態勢が取られるようになったのではないかと思う。もちろん、こうして囲い込み、安全を保障してしまうことは、「判断」を以て「命」とする登山の本質を完全に失わせる。

 また、このような組織的な山登りは、儀式めいた手続きが多く、集団行動に伴う制約も多くて、私が生徒だったら、「やってられねえなぁ」と思うだろう。

 山は自由で、自己責任の世界である。従って、審査の不合理は言うに及ばず、総体で行われる全てのことは、「山」の原則に反する。ご機嫌で出掛けて行って、ご機嫌で帰って来た私が、このように相も変わらず登山大会の文句を言うのは、ふと、これが世の中の公的な組織や肥大した組織の問題に共通すると思われたからである。

 ともかく、3日間ともまずまず天候に恵まれて、いい山歩きが出来た。男子隊の通信係というポストで、全体の先頭を歩くという位置もよかった。

 魚の腐った匂いも、土埃もない山の空気は快適である。相変わらず運動不足で、二日目の20Km強、標高差1300mというコースは少々厳しかったが、私の大好きなミネザクラサンカヨウの花は美しく、例年になく多い残雪も鮮やかだった。恥ずかしながら、私も山歩きを始めて30年以上経つが、峨々(がが)温泉〜名号峰(みょうごうほう)の登山道を歩いたのは初めてだった。人工臭の少ない、ダケカンバやブナの森の美しい、とてもよい山道だった。

 震災の影響は、今回の大会にもあった。そもそも、もともと熊野岳雁戸山→笹谷という北蔵王コースが予定されていたところ、南雁戸からの下りの岩場で余震があったら危ない(これも過剰な対策だ)ということで、峨々温泉コースになった。高温多湿ではなく、むしろ肌寒くてバテにくい条件だったにもかかわらず、20チームのうち6チームがリタイアする波乱の大会になった。春休みは混乱していた上に、新学期の始まりが遅く、総体までにほとんど山行(トレーニング)を行えなかったのが要因らしい。8月に青森県で行われるインターハイでも、八甲田山のコースが地震でダメージを受け、コースが変更されるそうである。少なくとも今年中は、山といえども、いろいろな形で震災を引きずることになるのだろう。