大きな学力・・・知と情



 5月の始めに名古屋に行った縁で、愛知県私立学校教職員組合連合(私教連)から『されど波風体験』(幻冬舎ルネッサンス、2005年)という本が届いた。以前から私もたいへん立派な人物としてご尊敬申し上げているつもりの著者、私教連委員長・寺内義和氏の署名入りである。先週の木曜日に届いたが、せっかくだからと思って、寺内氏の前著『大きな学力』(労働旬報社、1996年)を書架から取り出し、二冊続けて読んでみた。内容的な重複は大きいが、やはり面白い。そんじょそこらの教育論と違って、読んでいてワクワク出来るのである。

 以前も思ったことだが、本当に「情」の人だな、と思った。いかにも理論的な戦略家のようでいながら、基本的には「情」の上に立ち、人々の「情」に刺激を与えるのが非常にうまい。著者が示しているのは、「理論」と言えば確かに「理論」だが、「理論」という机上で操作できると思われかねないようなシロモノではない。著者の人間理解そのものである。

 『大きな学力』にある、著者の一目置く法人(労働組合の敵)側の代表者K氏、T氏が亡くなった年に、組合の交渉を例年の4分の1の期間で妥結に持ち込んだ話や、ひき逃げ事件を起こして免職になった某教諭のために、執行委員長自らがカンパ集めをした話など、数多い事例の中には、「情」がらみの話が多い。

 著者のスタンスは、「説得は理屈(理論・論理)でするものと錯覚し、それが分からないのは相手が悪い、と決め付ける人がいます〈中略〉。人間の不可解さが分かっていない。呼びかけや説得は魂でするものです。〈中略〉「何を話したか」よりも、「だれが話したか」です。だから、百の説教よりも、「何回一緒にラーメンを食べ、酒を飲んだか」のほうが重要なのです。」(両方に同じ話がある)という一節に集約されているように思える。「理論家」にあるまじき言葉である。

 著者が偉いのは、そんな不可解な人間性を「理論」で乗り越えようなどという無茶なことを考えず、人間とはそのようなものなのだということを積極的に肯定し、そのような人間みんなが輝けるように、多少の「理屈」を、はったりをたっぷりと含ませて投げかけるところにあるのである。最もマニュアルの通用しない世界だ。深く「人間」というものを知って始めて出来る技である。

 現場にいる人間として、著者の語る教育現場の「非常識」は、まったく現実のものである。これらの本を、職場の若い先生達に読ませたら、彼らはどう反応するだろうか?震災をきっかけに、久しぶりで愛知との関係ができ、心の中にくすぶり続けていた「愛知教」が目覚めてきた。目下、布教の方法を考えているところである。