文楽を見に行く



 昨日は、人から切符をもらって東北大学・萩ホールに「文楽」を見に行った。文楽を見るのは大学時代以来約30年ぶりで、ほとんど憶えていないので、初めてに等しい。

 主催は「仙台?ゾンタクラブ」という団体。今回は、創立50周年の記念行事である。私は全然知らない団体だったので、最初のうちは「ゾンターククラブ(Sonntag klub=日曜日サークル)」だと思っていた。よくよく見ると「ゾンタクラブ」である。会場で配られたパンフレットによれば、事業経営者、管理職、専門職の女性団体で、慈善事業のようなことをやりながら、世界中の女性の地位向上を目指している、とある。ロータリークラブの女性版、といったところだろうか?「ゾンタ」とは、アメリカ先住民スー族の言葉で、「正直」や「信頼」を意味するらしい。世界67ヶ国に1200のクラブがあり、30000人が活動をしているという。「仙台?」とあるから、?や?もあるのかと思ったら、なぜか?だけしかない。

 妻が仕事で行けなかったので、母を誘った。自分は大阪人(正しくは京都だが、母はよくこのように言う。母にとって、大阪とは関西を意味するようだ)なのに、大阪で生まれた文楽をこの歳まで見たことがなかった、これは嬉しい、と言ってやって来た。開場前、列に並びながら、つまりはまだ主催者がどのような団体かを知る前、なんだかずいぶん気品のあるご婦人が多い、と言い出した。確かに、来場者も、会場係として立ち回っている金色に近い黄色のリボンを肩に付けたご婦人方も、上品で教養ありそうな年配の方が多い。それはもちろん、上に書いたような団体の性質を知れば、自ずと納得できることである。私が見ていても素敵だな、と思う。

 さて、文楽

 最初の演目は「二人三番叟」という舞い。客席に人形が下りてきたりする演出もあり、飽きさせなかった。次は「三業解説」。仙台あたりで古典芸能能の公演が行われる時には、必ずそのジャンルや演目についての解説が行われる。よく知っている人にとっては、煩わしいかも知れないが、仕方ないかな、とも思う。なんだかんだ言っても、仙台は田舎なのだ。「三業」とは「太夫」「三味線」「人形」という文楽の三要素である。分かりやすかったが、少々長すぎた。そして最後が「壺坂観音霊験記〜沢市内より山の段」という世話物であった。ストーリーとしてはひどく突飛だが、まずまず面白かった。最近は、太夫の語り(浄瑠璃)を字幕に出して欲しいという要望も多いと聞くが、狂言ほどではないにしても、耳で聞いて理解できないレベルではない。三味線の音は、太棹であるがために、歌舞伎や長唄で聞くほどの艶っぽさは感じなかったが、それでも、日本人の感性には実にしっくりくる。

 人形劇は世界にたくさんあるが、それを操る人間が、これほどあからさまに姿を表す人形劇は珍しいだろう。姿を隠す人形劇を考案できなかった、というものではあるまい。おそらく、人間が見えていてもなお、人の目を人形に引き付けるだけの表現力と魅力とがあるという自信の表れなのではあるまいか。また、ではなぜ人間が演じるのではダメで、わざわざ人形を使うのだろうか。私にもそれはよく分からないのだが、どうも人形には邪念がない。嬉しいとなれば、純粋にただ嬉しい、哀しいとなれば、純粋にただ哀しい、生身の人間ではそこまで感情を純化できないのではないか、と想像する。だからこそ、人形は時に人間よりも人間らしい、と言われるのだ。

 失敗したのは、1階席、後から5番目の列に座ってしまったことである。目が悪いので、前の方に座ろうかとも思ったが、ステージの上に、人の下半身が隠れる程度の人形使い場があるので、首が痛くなりそうだと思って止めた。萩ホールは、さほど大きな会場ではないので、ここで十分だろうと思った。ところが、思っていたよりも人形の顔が小さく、表情の変化がほとんど見えなかった。次は前から15列目までだな。

 その反省は次回に生かすことにして、母もご満悦だったことだし、私にとっても久しぶりの新鮮な体験だったし、いい時間を過ごせたことに感謝、感謝。