推薦基準の「非行歴」

 先日、過去の「非行歴」によって推薦入試への推薦を断られた生徒が自殺したことについて、一文を書いた(→こちら)。その際、推薦基準に「非行歴」を加えることの是非については、また別の議論が必要である旨、注記した。その後、新聞報道を見ていると、このことはいろいろな人が問題視していて、その多くは否定派だ。「非行歴」があっても、それによって立ち直れればいいのだから、過去にこだわって将来へ向けての芽を摘むようなことはすべきでない、という理屈である。
 さて、この点について考察してみよう。
 私も、基本的には、過去がどうであれ、大切なのは現在だ、と考える人間である。人間というのは、多かれ少なかれ間違いを犯し、それで痛い目にあったり反省・後悔しながら賢くなっていくものなので、成長の糧とも言うべき過去の履歴が、将来へ向けての足を引っ張るというようなことは望ましくない。過去がどうであれ、今がいいならいいではないか、と考える。
 だが、推薦入試にはたいていの場合「基準」というものがあって、主に学業成績(評定平均値)、欠席数、部活動実績などのラインが指定されている。これらは全て「過去」のものだ。つまり、「評定平均値4.2以上」という基準があれば、1年生の時にサボって2.3とか取ってしまうと、やっぱり勉強しないとまずい、と思って勉強しても、3年間の平均で4.2を取るのは至難もしくは不可能となってしまう。欠席は累積なので、一度増えてしまうと、いくら努力し改善しても絶対に減らせない。つまり、推薦基準が中学校生活全体を対象としている以上、いくら前向きに生きるとは言っても、必ず過去の実績によって門戸は開かれたり閉じられたりしてしまうものなのだ。
 学業成績は、蓄積が物を言うものなので、1年生の数字から問題になっても仕方がないが、改善されればチャラとなるべき「非行歴」はそうではない、という意見もあるだろう。だが、欠席については間違いなく同じはずだ。また、学業で蓄積が物を言うとすれば、1年生の時に2.3を取りながら、2、3年生で4.8とか5.0とかを取るというのはあり得ないはずだが、これが現実にはあるのだ。だから、学業も必ずしも「蓄積」とは言い切れず、それにこだわることは、過去に拘泥することにもなるわけだ。だから、学業成績や欠席と「非行歴」を別々に考えることは案外に難しく、もしかすると感情的な問題かも知れない。
 こうなると、またもうひとつの観点を考える必要が出てくる。それは入試の性質と、それにアプローチする姿勢の問題である。
 例えば、競争率1.0倍の学校では、出来るだけ取ってあげよう、評価できる材料として何があるか、という発想で受験生を見ることが可能である。答案を見て、○か×かに迷ったら○、もしくは△という採点になる。ところが、競争率10倍の学校になると、落とすための要素として何があるか、という見方をせざるを得なくなる。迷った答案は×が原則だ。
 また、例えば大学入試において、センター試験でボーダーラインを30点超えた状態で個別学力試験を受けるのと、30点下回った状態で受けるのとでは、受験生の取るべき態度に違いが生じる。特に、受験科目に小論文がある場合は、一発大逆転を狙って斬新な内容の作文を書くか、いくら面白味が無くてもいいからミスのない作文を書くか、それぞれの状況に応じた対応が必要となる。
 つまり、入試の性質や、それに対応する側の状況に応じて、試験に対する姿勢は変化させることが必要で、これはあらゆる競争試験(=何点取れば合格という、資格試験のようなものには当てはまらない)について言えることだ。
 では、問題となった「推薦入試」とは落とすための試験か?通すための試験か?もちろんそれは、自殺した某君の志望校の性質、在籍していた中学校の校内事情によって決まる。例えば、某高校に中学校から1名の推薦枠があり、極端な例ではあるが、評定平均値も欠席も部活動実績も似たり寄ったりの生徒が5名推薦を希望した場合、中学校の先生はどこかに差異を見いださなければならなくなる。このような状況であれば、「非行歴」を理由に落とすことも仕方がない。
 ところで、推薦入試は何の目的で設定されているのだろうか?私が知る限りでは、次のようなものだろう。
1 ユニークな人材を確保する(成績が多少悪くても、光るものを持つ生徒を取る)
2 優秀な人材を優先的に確保する(生徒には早く決めたいという意識がある)
3 新入生の数をとにかく確保する(同上)
 2と3は性質としてよく似ているが、近年は3のウェイトがどんどん高まっていると感じる。スポーツ推薦を中心として、1も健在だろう。
 推薦入試の定員がどれくらいかは知らないが、専修学校以外では、定員の半分を超えてはいないのではないか。だとすれば、その設置目的から考えても、名称から考えても、標準は「一般入試」で、「推薦入試」は特別枠、ということになる。だから、あくまでも高校(大学)には一般入試で入るのが当たり前、推薦で入れればもうけもの、ということなのである。推薦で出願できるかどうか、合格するかどうかということを、あまり深刻に考えすぎない方がいい。
 ともかく、「非行歴」を競争試験における評価基準にすべきかどうかはケース・バイ・ケースなのだから、「非行歴」を推薦基準にすることが直ちにダメだとは言えないが、それがあればダメと、わざわざ杓子定規に明文化したのは行き過ぎであるとも思う。生活状況については「総合的に判断する」としておいて、場合によっては「非行歴」を問題にする、というのが落としどころだろう。同時に、「非行歴」を推薦基準にするのはケシカラン、という立場の方にも、人間評価と「入試=競争試験」における評価とを混同していないか、と立ち止まって考えてもらう必要がある。