授業で言葉の海を行く(2)

 これが終わると、いよいよ本題、教科書のテキストを読むことになるが、なにしろ平易な文章だし、特別なことは何もしていないので省略。
 そして最後は、新聞だ。二つの記事を裏表に印刷したものを配るに先立ち、導入としてアンケートを採る。「世論調査」や「be」に基づくものだ。例えば、「溜飲を下げる」と「溜飲を晴らす」ではどちらが正しいか?というような問いである。ところが、なにしろ日頃私が付き合っている高校生は、信じられないくらい言葉を知らない。言葉を知らなければ、そもそも「溜飲を下げる」と「溜飲を晴らす」のどちらが正しいとも考えられるわけがない。そこで、第3の選択肢として「知らない」を用意した。そもそも、それらしき言葉を知らない、という意味である。
 アンケートとは言っても、面倒なので、回収して集計というのはしないことにした。後で種明かしの新聞記事を配ると予告せず、「集めはしないんだけど、ちょっとやってみて」と書かせながら、机間巡視で、どんな答えを書いているか、だいたいの傾向を見てみる。予想どおり、平均しておよそ半数、ということは、多い生徒だと8割くらいの言葉について「知らない」を選択している。
 うかつにして、外来語に関し、多数の人に向けた文書ではどちらを使う方がよいと思うか、例えば「インバウンド」と「訪日外国人旅行者」ではどちら?という問題で、「知らない」という選択肢を用意しなかったのは失敗だった。「コンソーシアム」と「共同事業体」にしても、「パブリックコメント」と「意見公募」にしても、何のことだか全然分からず、従って使う可能性もない、ということで当惑していた生徒がたくさんいた。もちろんその場合、片仮名の方は知らなければ全然意味の取りようがないのに対して、漢字は表意文字(一つ一つの文字が言葉)であるおかげで、多少は意味を想像することができるため、生徒はやむを得ずこちらに○を付ける。「世論調査」の結果よりも、はるかに漢字表記に偏った結果となった。
 最後に、種明かしの新聞記事を配る。ちなみに、「be=間違えやすい慣用表現ランキング」のトップは、「間が持たない」(正しくは「間が持てない」)、2位は「押しも押されぬ」(正しくは「押しも押されもせぬ」)、第3位は「怒り心頭に達する」(正しくは「怒り心頭に発する」)である。偶然と言ってよいだろうが、解説記事は最後が飯間浩明氏の言葉で締めくくられている。

「どっちでもいいと思えるものが多いですね。そもそも私は『間違い/正しい』という観点で見るべきではないと考えています。」
「負けず嫌いなど、文法的におかしいのに定着した言葉はいくらでもあります。」
「多くの人が使うようになった言葉には必ず合理的な根拠があるものです。正誤についてはいろいろな説があるので、参考にとどめておく程度でいいでしょう。」

 これらはいかにも「誤用」を正当化するようで、授業で扱うには不都合だとも言える。が、「多くの人が使うようになった言葉(意味)には必ず合理的な根拠がある」というのは、教科書のテキストと重なり合うという点で、復習のきっかけになる。飯間氏に始まり、飯間氏に終わったという点で、妙にまとまり感、完結感を感じることもできる。その点でよかったかも知れない。考査の日程との関係で、最後に感想を書く時間を取れなかったのが残念だった。
 本当はビデオを見た後のタイミングでやればよかったのだが、考査の後で、三浦しをん舟を編む』(光文社)、飯間浩明『辞書を編む』(光文社新書)を生徒に紹介した(どちらも光文社だというのは偶然なのかな?)。彼ら辞書製作者がいかにデリケートに言葉にこだわっているかということは、後者の中にある、既に採録されている言葉の語釈の練り直しに関する記述の方がよほどよく分かって面白い。その後も、学校の図書館にもあるこの本を手に取った生徒はほとんどいないようだが、生徒達は、こんな言葉の授業をさほど面倒くさそうにも、つまらなさそうにもしていなかったので、一つのきっかけとしてはよかったかな、と思った。(完)