昨日は、今年度4回目のオープンスクールで勤務日だった。休みは今日だけ。人間というのは、一度楽に慣れてしまうと、逆方向に変えるのは大変。昔は、と言っても私が教員になった頃までなのだが、休日は日曜日だけだった。それでも、そんなものだと思って苦にしていなかったのに・・・。まぁ、それでも今の私は、休日を部活動に取られたりしないので贅沢は言えない。
先週は来客対応で運動できなかったし、今週末は登山の新人大会で山に行かなければならないので、今日は、朝から牧山RUNに行った。山登りを始めて早々、シカを見た。この1ヶ月で、シカを見たのは3回目(9月6日、23日と今日)である。加えて、リスも1回見た(同13日)。
9月6日は驚いた。階段を上って山道に入った所で、突然、真正面からシカが走って来た。全身の毛が逆立つ感覚と言うのであろうか。驚きと恐怖とで私は凍り付いた。シカの方だってびっくりしたのだろう。私の手前4~5mの所で鮮やかにステップを踏むと、私から見て右手の藪の中に飛び込んで走り去った。そのあまりにも素早く軽やかな身のこなしに、恐怖が去った私はすっかり感心して余韻に浸った。他の2回は、藪の中を走っていく姿を見ただけである。
それはともかく、これは極めて異常なことだ。今までなら、野生動物を見るのはせいぜい半年に1回、カモシカとウサギが比較的多く、牧山RUNを始めて10年にはなると思うが、その間にシカを見たのは2回、リスは1回に過ぎない。統計的には、10年に1度の出来事が1ヶ月に3回起こることだってあり得るとは言え、それは机上の計算によれば、である。実際には「起こらない」と言い切っていいほどの確率だ。
この数年、各地でクマの被害が増えている。以前のクマとは習性が変わってしまったようだとも言われる。クマだけが、だろうか?わずかこの1ヶ月だけの話なので、シカの習性が変わったなどと大騒ぎするつもりはないけれど、少し心配になってきた。いずれまた報告する。
ところで、今日は航空自衛隊松島基地のお祭り「航空祭」であった。昨年までは8月の最終日曜日に行われていたのだが、今年から、熱中症対策として10月最初の日曜日に変更になった。航空自衛隊松島基地というのはブルーインパルスという曲芸飛行編隊の基地である。よくぞまぁ、こんなに無駄な石油の使い方があるものだと、私は日頃から顔をしかめているのだが、世間の人様からは「格好いい」といって大変な人気なのだ。
ためらいもなくこんな無駄な石油の使い方をするから温暖化も進むのに、熱中症が心配だと言って1ヶ月半時期を遅らせ、相変わらず全国からすさまじい数の人が集まり、空を見上げて「格好いい」と能天気な歓声を上げているのは、私にとってはブラック・ジョークの世界だ。しかも、彼らは、この後、帰宅して日常に戻るや、「物価高で生活が苦しい」などと不満を言っているに違いない。
テレビでニュースを見ると、各地で「食の秋」イベントが真っ盛りだ。全て使い捨て食器で運営されている。何の疑問もためらいもない。当たり前だ。法令で禁止されていることをしているわけでもなく、彼らは食器代も含めてちゃんとお金を払っているのだから・・・(→参考記事=少し後ろの方を読んでください)
いつも通りのグチで終わるのも申し訳ないので、ちょっと今までに書いたことのない私の空想を書いておこう。
高校を卒業したばかりの若者に、生涯賃金に匹敵する2億5千万円をポンと渡すとする。「君にあげよう。しかし、仕事をしようが何をしようが、今後の人生で収入が得られることは絶対にない。さあ、よく考えてこのお金を使いなさい。ただし、君が死ぬまでインフレが進むことはないから、その点は安心してよろしい。」さあ、若者は何を考え、どのようにこのお金を使うだろう?
おそらく、「旨い物は宵に食え」と言って、さっさとお金を使ってしまう若者はいないだろう。自分が何歳まで生きるか分からないし、人生の途中で何が起こるかもわからない。どちらかというと、かなりみみっちいお金の使い方をする人が多いのではないか?
言うまでもなく、このお金は、石油をはじめとする地球上のエネルギー資源と同じである。石油などのエネルギー資源はひたすら減少するだけで、増えることは絶対にない。更に、燃やせば大量のごみ(CO₂)を出して環境を悪化させる。なのに、人々は将来を考えることなく、ためらいもなくそれを消費する。なぜ18歳で手にした2億5千万円を使うように石油を使えないのだろう?
人間は「朝三暮四」のサルと同じ、あるいはそれ以下である。サルが、飼い主から餌を「朝3つ夜4つ」にすると言われて怒ったのは、1日に食べられる餌の数は同じなのに、すぐに食べられる餌が3つだけだからである。「朝4つ夜3つにしよう」と言われて喜んだのは、やはり1日に食べられる餌の数は同じなのに、今すぐ食べられる餌は4つだからである。4つで満足したサルはえらい。今の人間は自ら「朝7つにしてくれ。夜はなくてもいい」と言っているようなものだ。にもかかわらず、「朝三暮四」の逸話を読んで、サルを笑うに違いない。
そして、またしても私の頭の中に浮かんでくるのは、何も考えずにイエスの処刑を望む人々の、「その血は、我々と我々の子らの上にかかってもいい」(マタイ25章27節)という言葉なのである。